「線は真っすぐ伸びていくのに対して、色は無限に広がっていく。色によって宇宙の広さを肌で感じることができる。そうして私は真の自由を手に入れるのです。」―靉嘔

靉嘔(AyーO)として知られる飯島隆夫は、1931年に茨城県で生まれ、東京教育大学を卒業。22歳のときに第5回読売アンデパンダン展に参加する。1953年には河原温と共に、超現実主義派の画家・瑛九(EiーQ)率いる革新的アート団体「デモクラート美術家協会」に参加。批判や階級、規定がなく、自由の精神を重んじるこの協会で、靉嘔は創造活動に没頭することができた。この時期を彼は「ユートピアのように美しいものだった。」と述べている。1958年、日本を離れてニューヨークに向かった靉嘔は、オノ・ヨーコの紹介で前衛芸術運動「フルクサス」に加わる。フルクサスのメンバーとして、画家、音楽家、作曲家、ダンサー等多岐に渡る分野のクリエイターと協力して、感覚的な即興アートを探究した。1964年にニューヨークのカーネギーホールで発表された初の虹のハプニング作品では、フルクサスのメンバーで結成されたオーケストラと、聴覚を探究する作品を作り上げた。その後、ニューアンディウォーホルガリックシアターの地下にあるナイトクラブ・Cafe Au Go Goで、観客に6色の食事を提供して視覚と味覚を刺激するショー「レインボーディナー」を開催。また、このシリーズに続いて、靉嘔は「触覚環境」、「アンビエント芸術」といった、見る者に没入型の体験をもたらすインスタレーションの創作を始めた。

1966年、靉嘔は日本を代表して第33回ヴェニス・ビエンナーレに参加し、壁全面を虹の波で覆い、65個の小さなボックスを配置した虹の世界を作り、「タクタイル・レインボー・ルーム」と名付けた。観客はボックスに自由に指を入れることができるが、驚くべきことは、それぞれのボックスによって異なる体験ができることだ。例えば氷水や、スポンジ、トゲの触覚、あるいはラジオの音が鳴りだすといったものまで、様々な体験を観客に与えるのだ。こうして靉嘔は世界中のメディアから多くの注目を集め、「虹のアーティスト」と呼ばれるようになった。1987年、パリ万博50周年を記念して、パリ政府は靉嘔と共同で由緒あるトロカデロ庭園で「レインボー・エッフェル塔・プロジェクト」を企画し、エッフェル塔の頂上から幅5メートル長さ300メートルの虹の帯旗を垂れ下げた。もともと3日間の開催を予定していたが、初日の強風のため、パリ政府は展示初日での撤去を要請した。これは靉嘔の虹の作品の中でも最も大規模な活動のひとつである。

虹のスペクトルは自然界に存在するものであり、靉嘔は線による表現を捨て、作品の中に虹のあらゆる色を使うことを、また自然界に存在する順序の通り赤から紫までの配列に従うことを追求した。現実世界では虹の色をはっきりと区別することができない。彼は作品の中ですべての物を虹色で覆うため、色と色の間に更なるグラデーションを生んでいき、その可能性を無限に広げた。この概念は、純粋な単色の青で宇宙の真理を探求するフランスの芸術家イヴ・クラインと通ずるものがあるが、一方で靉嘔は、虹の色彩をもって広大な宇宙に呼応しており、自由で区別のない世界観を象徴する。

1960年代、米国の広告業界の台頭に伴い、スクリーン印刷の需要が大幅に高まったことで、靉嘔も信頼できる摺師である岡部徳三と助田憲亮をシルクスクリーンのパートナーとして、制作をはじめた。靉嘔によると、当時の版画は「半画」と小馬鹿にされ、業界では油絵の下位に値するものとして見下されていたという。しかし、彼はそれを意に介さず、アーティストと摺師は共にクリエイターであるという信念を貫き、そういった考えをはっきりと否定した。作品「レインボー北斎」は、江戸時代の浮世絵画家・葛飾北斎の作品に虹のエッセンスを取り入れて再解釈し、1970年に第7回東京国際版画ビエンナーレで東京国立近代美術館賞を受賞した。本展覧会では、1970年代の靉嘔の版画が40枚以上展示されており、見る者すべてをカラフルな虹の旅に連れて行ってくれるだろう。

1.読売アンデパンデン展:1949年2月に読売新聞社の主催により「第1回アンデパンダン展」が開催され、以降1963年まで毎年開催される。戦後の芸術界における民主化のベンチマークとなり、現代美術の発展に大きな影響力を与える。ジャクソン・ポロック、河原温、篠原有司夫、高松次郎、赤瀬川原平、中西夏之ら芸術界の重鎮たちが参加した。

2.瑛九(1911-1960)(本名:杉田英夫):日本の前衛芸術家。絵画、写真、銅版画、リトグラフ等、様々な媒体を使用して超現実主義で抽象的な作品を制作した。1950年代に「デモクラート美術家協会」を創設し、日本の戦後の芸術界を率いるパイオニアの一人として活躍。

3.フルクサス:ジョージ・マチューナスが提唱した、1960年代初頭から1970年代後半を代表する芸術運動。靉嘔、オノ・ヨーコ、ナム・ジュン・パイク、アリソン・ノウルズ、シャーロット・モーマン、ラ・モンテ・ヤングら60人以上のアーティストがそのメンバーである 。


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