ARTICLES
辻本健輝のアートが紡ぐ、記憶と感情の断片―岩絵具とアクリルの共鳴
2024.10.01
INTERVIEW
黒と白、そして黄金の煌めきを纏う、画面の登場人物たち。時に意味深に、時に悲しげに、また時に無表情に佇み、その視線には憂いと強い意思が秘められている。蠱惑的な空気を纏った辻本健輝の作品は、登場人物やマテリアルを通して、時間や記憶の重なりの中で「軌跡」を描き出している。
人々が残した痕跡や自然の営みを織り交ぜ、過去と未来の狭間に立つ作品は、研ぎ澄まされた技法と独自の美意識によって具現化される。アーティスト・辻本健輝へのインタビューを通して、作家独自の技法と美意識を紐解く。
辻本健輝の軌跡:記憶と痕跡が織りなす作品世界
辻本健輝『Scent of Dawn』2024, 60.6×72.7cm, acrylic,natural mineral pigments,gold leaf,old documents (1870).
辻本健輝の作品には、「軌跡」というテーマが強く反映されている。彼が描くのは、古文書や神話、動植物など、歴史や自然の中で長い時間をかけて形作られたモチーフたち。それらは単なる象徴ではなく、時代を超えた普遍的なメッセージを内包し、彼の作品を支える核となっている。
「古文書や神話、動植物をモチーフに選ぶ際は、モチーフの象徴や背後にある物語性に注目しています。それぞれが持つ歴史や自然の痕跡が、現代にも通じる普遍的なメッセージを含んでおり、そこに大きな魅力を感じています」
人が生きた証、畏敬の念、壮大な自然の出来事といったさまざまな “痕跡” は、儚さと永続性という相反する要素を併せ持ち、観る者に時の流れや記憶の重みを想見させる。
画塾での日々が生んだ創造の土台
制作の様子
2007年に長崎県展で野口彌太郎賞を最年少で、2013年に昭和会展(日動画廊主催)で松村謙三賞を受賞し、各地のグループ展などで頭角を現してきた辻本。技術の基盤は、若き日の独学と膨大な時間を費やした鍛錬にある。故郷の画塾でデッサンや油画技術を磨いた日々を、「365日、朝から晩まで絵に没頭していた」と作家は振り返る。
「自分でカリキュラムを組み立て、ひたすら筆を動かし続けた経験が、今の技術的基盤となりました。伝統的な技法と独自の感性を融合させたことが、現在の作風に大きな影響を与えています」と辻本は言う。外部との交流が少なかった環境が、かえって彼の創造力を養い、自己探求を深める契機となったようだ。
岩絵具とアクリルが生む深遠な質感:辻本健輝の制作プロセス
『Inter×Faces―交錯する顔』/Whitestone Ginza New Gallery
辻本健輝の作品において、メディウム選びは非常に重要な役割を果たしている。特に岩絵具とアクリルという異なるメディウムを併用することによって、画面に奥行きが生まれる。アクリルでの筆跡でモチーフの物語性を、岩絵具で鉱物それ自身が有する自然の美しさを表現している。両者が相互に補完し合いながら、複雑で繊細な画面が作り出されるのだ。
「アクリルで理性的にコントロールし、岩絵具で感性的に表現します。この組み合わせにより、デジタルや印刷技術では再現できない変則的な画面を創り出せます」と辻本は説明する。こうした技法のこだわりは、作品の質感を実際に目にしたときにこそ感じ取れるものであり、デジタルな再現では伝えきれない、手仕事ならではの魅力を持つ。
作品を間近で見てみると、岩絵具の鉱物的な質感、金彩の彩り、和紙の繊細さがそれぞれの物質的な魅力を放つ。
また、辻本は岩絵具、特に黒に関して、「岩絵具を使用することで、作品に複雑な輝きと深みが加わります。黒の鉱石や炭素系顔料に、青や赤の鉱石を混ぜることで、実は黒でありながら、それぞれ異なる色調を持つ黒が生まれるのです。まったく同じ黒は二度と創ることができません」と語る。光を受ける角度や、暗がりでの見え方が変わることで、作品は静かにその表情を変え続ける。
過去と未来を繋ぐ軌跡:時間の断片が語る物語
古文書を素材として作品を制作している様子。墨で書かれた漆黒の文字が揺蕩うようにミューズの側に添えられる。
辻本健輝は作品に、古文書や和紙といった人間の痕跡を素材として織り込むことがある。和紙に書かれた文字や筆跡は、ただの装飾ではなく、過去の記憶を作品に再現するための重要な要素である。作家は、その文字を意図的に裏返して使うことで、文字が意味する内容を目立たなくさせ、文字としての存在意義そのものを高めることで、筆跡そのものを画面構成の一部として扱っているのだ。
「古文書の使用は、鉱石や金属のように長い年月を経て生成される色材と同様に、時間を閉じ込める役割を果たします」
和紙の質感や古文書の筆跡には、過去の人々が生きた証はもちろん、経験や知識、感情を文字として未来に残そうとした人々によって積み重ねられた時間そのものが内包されている。特に、古来より人々を魅了する「金」の彩りは、鑑賞者の好奇心を引き起こし、作品の中に隠された時間の悠久性を感じさせる。
辻本の作品に込められた時間の軸は、単なる過去への回帰ではなく、未来を見据えた視点も含んでいる。それは彼が扱うモチーフや素材が、過去と現在、そして未来をつなぐ橋渡しとして機能しているからだ。彼の作品を前にしたとき、鑑賞者は過去の痕跡に触れながらも、新たな生命が息づいていることを感じ取るだろう。
静かに訴えかける瞳:辻本健輝が描くミューズたち
『Inter×Faces―交錯する顔』/Whitestone Ginza New Gallery
辻本作品の魅力のひとつが、ミステリアスな様相を湛えた女性たちだ。作家が「ミューズ」と呼ぶ彼女たちは、時に憂いを帯び、時に無表情に見えるが、その奥にある感情が強力な引力となって観る者の心を射る。黒を纏い、静かにこちらを見つめる女性たちは、まるで過去からのメッセージを携えて、幽玄で幻想的な世界へと鑑賞者を誘うかのようだ。
「ミューズの存在は、その背後にある感情や物語を象徴するものです。感情が動く刹那を捉え、感情の余白を持つ『顔』を表現しています」
辻本は、心の奥底に秘められた感情や物語がふっとこぼれ落ちる瞬間の表情を捉える。最近では再び実在する人物を作品に取り入れる試みも行っている。「実在する人物を通じて、その人が持つ内面的な深さや、時間、感情が交錯する瞬間を作品に昇華できるよう試みています」と語るように、今後の展開にも期待が高まる。
『Inter×Faces―交錯する顔』/Whitestone Ginza New Gallery
辻本健輝が描く「顔」は、表面的な美しさを超えて、その背後に流れる時間や記憶を映し出している。彼の作品に登場するミューズたちは、静かにこちらを見つめながら、内面に秘めた感情や物語を訴えかけるように佇んでいる。辻本は、ただの肖像画ではなく、「人が生きた証」を作品として描き出しているのだ。
ホワイトストーンギャラリー銀座新館でのグループ展『Inter×Faces―交錯する顔』では、辻本をはじめ3人のアーティストが、「顔」というテーマを通じて、それぞれの視点から人間の存在を浮き彫りにする。本サイトではオンラインでの鑑賞も可能。辻本が描く顔を通じて、過去と未来をつなぐ生命の軌跡に触れてみてはいかがだろうか。
辻本健輝