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アメリカを代表する作家・桑山忠明が見出したアートの真髄

評価され続けているアジアのアート
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桑山忠明 ホワイトストーンギャラリー台北にて

国際的に評価されているアーティストやアジアのアートマーケットに関しての書籍『今、評価され続けているアジアのアート』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第23回目は、2023年8月20日に91歳で逝去した桑山忠明と美術評論家のアーロン・ベッキィ氏の対談をお届けする。

アートは人間が生み出す美しさである。だからこそ人工的であれ

桑山忠明 ー アーティスト
アーロン・ベッキィ ー 美術評論家

「優れた芸術からは、何かを感じるものです。見えないかもしれないけれど、感じられる。それが芸術の最も大切な部分だと思います。それこそ、いわゆるスピリチュアルだと思います。作品が優れていれば、誰かがそれを感じとるのです」(桑山 談)

写真は左からアーロン・ベッキィ、右が桑山忠明。ニューヨークを拠点に 制作活動を続けている。

より重要なのは芸術家自身より鑑賞者

ベッキィ:今日は桑山さんの芸術についていくつか質問させていただきたいと思います。なぜこういった作品をつくるようになり、どう生み出したのか。そして何らかの意味があれば、それは何なのか。今日はそんなことを解明していきたいと思います。まずはとてもシンプルな質問から。どのようにして作品に向かい始めるのですか?

桑山:わからないですね、実際には。何というか、何かを思いついたから始めるのです。例えば、ペインティングを始める。すると描いている途中でこう考えたんです。ああ、自分はこうすべきだと。実際にそうでした。その部分については、何をするか決めるまで変えません。最後まで。次のものはまた別のアイディアで。

ベッキィ:では今までご自分の作品を破棄したことは?

桑山:もちろんあります。後で、数年経ってからかな。自分の作品に我慢ならないこともたまにあります。そういうことがあるんですよ。それで破棄します。

ベッキィ:とにかく私が疑問に思ったのは、どうやって始めるのかということなんです。桑山さんは常に、何年も前からの計画を、これをやろうというコンセプトを温めているような印象がありますからね。

桑山:ええ。

ベッキィ:そしてどのペインティングも、そこに近づくための方法だと。

桑山:ええ、そうですね。確か一九六四年です。『アート・イン・アメリカ』誌に寄稿しました。芸術に関する声明です。若手アーティストの中から私が選ばれて。この声明をご存知ですか?

ベッキィ:はい。

桑山:とてもシンプルですが、あれが私の考え方の基盤です。

ベッキィ:もう少し詳しく説明していただけますか。桑山さんは日本画の教育を受けていて、極めて美しく、精巧に表現する方法を知っている芸術家です。そしてアメリカへ渡り、多くのミニマルアートをご覧になりました。

桑山:いえ、まだですね。

ベッキィ:しかし、実際にはモマ(MoMA ニューヨーク近代美術館)でモダンアートの様式に接しています。

桑山:そうですね。モマで多くを学びました。

ベッキィ:そして、とにかく単純な、芸術的要素を排除した作品をつくり始めます。当時、形や色を極限まで削ぎ落とした作品に傾倒していた芸術家仲間の中には、結局それとは反対の、装飾的な方向へ進んでいく人もいました。にもかかわらず、桑山さんがミニマルな方向性を突き詰めていきました。なぜでしょうか。

桑山:まだその域には達していないんです、深いところでは。今でも何か違うこと、自分なりの創作にトライしていますし、それは芸術家にとって極めて重要なことだと思います。そして一つをやり遂げたとしても、次のものはまた別の創作活動になる。私という人間の創作活動にとって次なるものが……。

ベッキィ:ただ興味深いことに、桑山さんの創作は一種の消去作業でもあります。対象を排除し、ご自身の作風あるいは人間性も排除したいとお考えですからね。初期の作品では、ペインティングを施す物体が見えなくなるまで薄い色を何度も塗り重ねていました。今ではそこからさらに踏み込み、チタンの表面の複雑な色を使われています。 何を消しているのでしょう?

桑山:例えば、私がチタンを選んだ時、実際に工場へ足を運んでチタンの色がどう変化するのかを確かめました。そして工場に特定のサイズを注文して、チタンの加工工程を実際に見ました。確か、決断するまで一週間ほどですかね。何度もパネルを観察し、チタンの特性を質問しました。すぐに決まることではなく、決めるまでに時間がかかりました。

決めた後は気に入りましたね。見る角度、光の当て方、距離によって色が変化する。チタンを正面から見るたびに色が変わるということは、すでにある種の雰囲気が得られたことを意味します。空気ですね、そう感じました。それで一つ二つではなく、壁全体にしました。

ベッキィ:その雰囲気、空気についてもう少し詳しくお話しいただけませんか。ペインティングとの関連では大いに話されていて、つまりペインティングだけでなく、作品の周囲の空間も含めての話だと。

作品と展示空間との相関関係

桑山:例えば、作品を壁に展示した瞬間から、その場所、見え方、その対象に対する自分の反応との関係性がスタートします。それはいわゆる、あちらとこちらの関係性、距離であって、それがいくつもあれば、そこから全体の雰囲気が生まれる。それも芸術だと思いましたね、はっきりと。

ベッキィ:ただ同時に桑山さんの作品で使われる物体には、非常に強い色を、しかも的確に使われているので、私たちの意識を支配し、注意を向けさせます。

桑山:例えば、あのパネル作品を始めた時、最初は1956年に日本の大きな美術館でだったと思います。1番広い部屋で、壁三面を使って136枚のパネルを並べました。

ベッキィ:そうでしたね。

桑山:手前は何もなく白で統一されていて、白い入口、下の階から上がってくる入口はこの辺りにあって、初日は私もその場にいました。設置で数日間立ち会っていましたし、ただ見ていただけですが。初日にはたくさんの方が来場されて、芸術家ではなく、一般の方ですね。美しい庭園もその美術館の魅力で、いわゆるデートスポットですね。

鑑賞者は一連のパネルを見て、「ワォ、これは芸術なの?」と言っていました。それでもどういうわけか感銘を受けて、ひと目見ると、それが一体何なのかを知りたくなるようなのです。彼らは作品の近くまで行き、大きなスペースなので入口が向こうに、作品はこちらで、ここまで進んでいきます。

私はその反応をただ見ているだけ。彼らはここに立ち、一つひとつを丁寧に見ていました。時には見直しながら。そして、どれも違って見えると言うんです。角度や距離が違いますからね。ここでは同じでも、向こうでは同じではないと。それはすでに、彼らがこの空気を感じ取っていることを意味します。この空間、空気自体を。私はこれこそ芸術だと、そう思いました。空気から感じ、そこに対象、距離があって。

ベッキィ:興味深いお話ですね。桑山さんの説明ではこういうことだと思うのですが、桑山さんはご自身の、そしておそらく作品の芸術性も含めて、芸術家としての存在感を消していて、それが完全に消えていなくても、減退することで、芸術が浮き上がってくる、それも鑑賞者の中で。

桑山:鑑賞者、そうです。鑑賞者です。つまり芸術家は、芸術家自身はあまり重要ではなく、鑑賞者なんです。彼らがどう反応するのか。そこが非常に重要だと思います。

ベッキィ:つまり桑山さんの芸術は、ある種のトリガー、きっかけだと? 例えば、LSDを使ってから(笑)作品を鑑賞するみたいな。

桑山:……何と説明すればいいのか(笑)。

ベッキィ:あるいは、瞑想に例えるべきかもしれませんね。方法はともかく瞑想することで、自己の深層に到達し、何かのきっかけでそれが引き起こされる。ベルを鳴らすとか、あるいは何か……瞑想する方法は人それぞれですが、それも桑山さんが追求されていることの一部分のように思えます。

桑山:ええ、そうかもしれません。それが芸術だと思いました。だからまず、芸術はスピリチュアルだと言いました。それ以外の何物でもないと。でも言葉では、様々な言い方ができますが、鑑賞者が実際に見て、感じることなのです。そして彼らが感じ、私の考えに近づいてくれたら、ラッキーだなァ……と、そんな感じですね。

ベッキィ:それはつまり……人間の手が介在した感覚を排除したいのであれば、それが想起されるような技巧はあるのでしょうか。そして、その技巧をどうやって生み出したのでしょうか?

桑山:例えば、金属のパネル、その表面、どれもテクスチャーが違いますよね?組み方と色も……原色のような、そういったものが初期の作品でした。確か1964、5年頃だったでしょうか。その頃にメタリックなスプレー塗料を使い始めました。その一つがグッゲンハイム美術館で選ばれました。メタリックスプレーを使った大きな作品です。ピンクとブルーの。当時は筆を使うことにこだわりはなくて、とにかくこういった、無に近いものをつくりたかった。でも、鑑賞者は何かを感じたわけですよね、それが芸術だ、と思いました。

色は赤も青も同じクオリティ……何が違うのか?

ベッキィ:それも面白いお話ですね。なぜなら、色について桑山さんに質問すると、非常に難解な言い回しをされますが、色をその色としてただ作用させるのではなく、何かを触発し、見る人それぞれの反応を引き出し、どんな印象を与えるのかという点に極めて意識的であるように見受けられます。そしてそれこそ、とても長い時間を費やして、桑山さんが取り組んできたことのように感じられます。

桑山:そうですね。そのせいで、同じことをし続けていると言われることもあります(笑)。それも間違いではないですが……今もまったく飽きていませんし、心から楽しんでいますよ。

ベッキィ:しかし純粋な黒、純粋な白の作品は今までつくっていませんよね、初期の作品で。

桑山:初期の作品で?

ベッキィ:初期の。そうでしたね。でもそれ以降はありません。なぜでしょう?

桑山:わかりません。いや、一度やりました。そうですね。たまにやりますし、作った時は……大抵ペインティングの連作で、一点ではありません。サイズ、制作方法、素材はどれも同じで、色だけが違います。おそらく4、5色。2色の場合もあります。

ベッキィ:興味深いお話ですね。私はまだはっきりしていないというか……桑山さんが色でされていることは、意識的ではないかもしれないにせよ、ご自身で何をされているのかをきちんとわかっていらっしゃる、そう思うからなのですが。それと私はこんなことにも気づきまして、黒は死、白は新しさや純潔さなど、私たちは色についてたくさんのイメージを抱いていて…赤は外側へ、青は内側へ向かうといった、そういった関連性をですね。つまり桑山さんが赤を使う時は、そういったイメージから切り離された赤を求めている。あるいは他の色と一緒に使い、ひとまとめで考えられているように感じます。

桑山:いえ。例えば、私は色を、どの色もクオリティは同じだと考えています。どんな色でも。

ベッキィ:同じとは?

桑山:クオリティのことです。赤が好きな人もいれば、青が好きな人もいます。しかし色は赤でも青でも同じ、何が違うのでしょうか?それが私の考え方です。

ベッキィ:でもその考えに至るために、そこを明確にするために、桑山さんは色を巧みに操り、私たちが一般的に抱くイメージとは違う色として作用させています。青にはとても官能的なイメージもありますね。

桑山:青にもいろいろな青があります。

ベッキィ:ええ、でも桑山さんは青を選んでいる……

桑山:いえ、ほぼすべてやりました。おそらくあなたがご覧になったのはその一部で、それと赤も。私にとっては同じなんです。

『桑山忠明展』ホワイト ストーンギャラリー台北

色彩を施す物体へのこだわり

ベッキィ:となると、どう始めるのかという最初の質問に戻りますが、いざ創作に取りかかる時、どうやって……私が色について質問したのは、それが桑山さんのペインティングの多くで最後に残る要素であって、とても鮮烈で、移ろいでいく色であることが多いですよね。

私たちが昨日見ていた作品は、金属が使われていて、見る位置を変えるとわずかに黄色が浮かび上がってくる。素材に備わった、あるいは内含された色ですよね。桑山さんはそこに多くの時間と労力を費やされているはずなのですが、選ぶことはないし、何らかのプランがあるわけでもないとおっしゃる。そこがどうしても信じられなくて。

桑山:1960年代半ばだったと思いますが、7×7フィート大の作品を作ったことがあります。四枚のパネルを組み合わせて7×7フィート大にし、5色を使いました。青に赤、黄色、茶色、黄土色……関連性のない色を使い、一連の作品をつくりました。

そして日本の美術館に、何のペインティングですかと聞かれ、いや、あのペインティングじゃない、私の作品だと。私のディーラーは「これ全部にしよう」と言いまして、五色分の写真を撮りました。当時の撮影は全部一緒にではなく、一点ずつでしたよね? それを彼らに見せました。5、6人のキュレーターが集まって、何かを話し合っているんです。よくわからなかったのですが、その中からどれを選ぼうかと5、6点の中から。好みは人それぞれ違うので、赤が良いと思う人もいれば、黄土色のほうが良い人もいます。それで私はこう言いました。色のクオリティはどれも同じで、似たようなものだ。嗜好は人それぞれで、どれが良くてどれが悪いということはない。すべての色にそれぞれクオリティがあると。

ベッキィ:つまり鑑賞者にもう一度投げ返したのですね?見る側が感じるものだと?

桑山:ええ、そうです。すると彼らはこう言いました。「わかりました、全部にしましょう」と。次に聞かれたのは、作品をどう展示すべきかという問題でした。私は「毎回違って構わないし、特にこだわりはない」と答えました。そこに存在することは変わらないのだから。そんな感じの考え方ですね、最初は。

ベッキィ:となると、私には二つの疑問が浮かんできます。まず、桑山さんにとっては建築に進む、建物を建て始めるのは自然な発展なはずです。娘さんも建築家になりましたよね。そして、桑山さんが取り組んできたことの多くは、空間に色彩を設定することだと考えると、なぜ直接的にそれを行わないのですか?なぜペインティングを施す物体にこだわるのでしょうか?さらに、ある色で壁を塗り、もう一つの壁に違う色を塗らないのはなぜでしょうか?

桑山:それも試しました。最初に日本画の学校へ通い、色と紙について学びました。日本画は紙に描くものですよね。それでそういった技術を。ただし素材は問題ではありません。そういった人たちとは専門が違います。

ベッキィ:では別の方向から質問させてください。桑山さんが最初に本格的な作品を数点つくられてから2、3年後、グリーンギャラリーやグッゲンハイム美術館で展覧会を開かれていますが、その頃、桑山さんや初期のフランク・ステラ、カール・アンドレなど多くの芸術家たちが、同じように装飾性を排除する方向で創作しています。

その数年後、西海岸では多くの芸術家たちが……それをロジカルな次のステップに引き上げた、と私は感じているんですが、つまり、純粋な光、純粋な空間を追求していこうと。最も有名なのはジェームズ・タレルでしたが、アーウィンなど五、六人がこの様式に取り組み、そこから何人かが純粋な色へ、何人かが純粋な光、空間に向かいました。こうした動きを桑山さんは、ご存知で関心があったと思いますが、その方向へ進むことは考えませんでしたか?。

桑山:いいえ、考えなかった。でも興味はありましたが、あれはカリフォルニアだけです。

ベッキィ:なぜカリフォルニアだけなのでしょう?

桑山:わかりません(笑) 。そのアーティストは私も知っています。

ベッキィ:渡米されたのは、確か1958年。

桑山:ええ、58年です。

ベッキィ:その年以来、ニューヨークを拠点にされておられますが、ニューヨークには桑山さんの芸術に必要な何かがあるのでしょうか。あるいはなぜあの時、そして今も、この場所で、そういったタイプの芸術をつくり出すことが正しかったのでしょうか。

桑山忠明

ニューヨークで見出した自らの立ち位置

桑山:ニューヨーク行きを決めた時、ニューヨークへ来る前のことですが、その当時、日本を出るには面接を受けなければなりませんでした。アメリカへ行く前も。許可が下りなければ出国できなかったのです。気軽に旅行などできません。日本は敗戦国ですからね。飛行機もない。飛行機に乗れるのは政府関係者だけです。私たちは船で渡りました。私も出発前にアメリカ大使館で面接を受けました。係員からは、なぜアメリカを選んだのか、芸術家ならパリに行くべきだと言われました。私が日本を離れる時も、そんな状態でしたね。

それでこう言いました。第二次大戦後、フランスは連合国側で戦争に勝ったかもしれないが、パリはドイツに占領され、国が荒れ果ててしまった。経済的にも戦後は苦しくなったと。そして、芸術は裕福な人々の援助がない限り発展しない。そう言いました。アメリカは裕福な国で、芸術を、新しい芸術を支援してくれると私は考えていました。

そんな理由でニューヨークを選んだのです。行きたいのはニューヨークであって、他の街ではない。ニューヨークのことなど知りませんでしたが、そこには新しい芸術があるに違いないと思っていました。

ベッキィ:アクションペインティングや初期のコンバインアートなど、ニューヨーク周辺の動向はご存知だったのですよね。

桑山:いえ。ジャクソン・ポロックの名前は知っていたかもしれませんが、作品を見たことはもちろんありませんでした。日本に入ってくるはずがありませんから。あとはアレクサンダー・カルダー。その程度です。カルダーは好きでした。例えばあの動く彫刻がすごく興味深く思えて……その発想がね。

ベッキィ:アメリカに渡った頃、日本画の教育を受けていた桑山さんは、クレス・オルデンバーグやラウシェンバーグのような、絵の具を撒き散らす、あるいは大規模な作品をつくる芸術家に囲まれていました。

では何が桑山さんを…、カール・アンドレのような他の芸術家とのインタビューでもそうなのですが、「これはしたくない」、「自分の世代はこういうことをすべきではない」と、非常に意識的にノーと否定する人がいますが、桑山さんは、これまで学んできたことを続けたくないという気持ちと、ニューヨークで起きていることに反応したいという気持ちに対して、極めて意識的だったということでしょうか。

桑山:ええ、例えば、バーネット・ニューマンやロスコといったタイプの作品を見て、当時はとても気に入っていました。それまで見たこともなかったですから。そういった大規模な作品見た時、それまで一点で壁と同じ大きさのペインティングなど見たこともなく、初めて目にするものばかりでしたので、感銘を受けたのですが、しかし,自分がやるべきことではない、自分とは違うなと思いましたね。自分は自分のやり方でやるべきだと、そう感じました。

ベッキィ:グリーンギャラリーや他のギャラリーで一緒になった人たちと出会い、認められているような感覚や、互いの影響が認められたような感覚はありましたか?また、作品について語り合ったこともありましたか?

桑山:あまりないですね。私の英語が酷くて。

ベッキィ:しかし、ドナルド・ジャッドが非常に早い段階で桑山さんの作品をレビューしています。励みになったのでは?

桑山:いえ、理解できなくて(笑)。

ベッキィ:では質問に戻ります。ニューヨークという大都会、非常に活発なシーンに身を投じたことで、桑山さんは創作の道を見出し、作品もまた他の人々の目に留まるようになりました。こういった人たちはバラバラの方向に進んでいて、最初は最大限に削り取ったところからスタートし、アンドレやソル・ルウィットなら規則性に関心が向き、ステラなら装飾的な方向で作品が次第に複雑化していきました。しかし桑山さんは、彼らに続こうともされませんでした。

桑山:ええ。

ベッキィ:裏切られたような気分になったことは?

桑山:ありません。芸術とは、その芸術家が自分で生み出すべきものだと思っています。だからこそ、私は後追いすべきではないと思いました。より大切なのは創作です。クリエイティブであること。それが私の考えでした。

ベッキィ:興味深いことに、桑山さんは大都会、そして活発なシーンに身を置きながらも、ご自身の作品を常に、極めて内面的、探索的な、ある種の精神性へと向かう方向で説明されておられます。

そしてニューヨークにとどまり、今も積極的に活動されている。この国で確固たる地位を築いていることも存じていますが、現在の位置から一歩下がり、やるべきことに集中したい、またそうする必要があると感じたことはありますか?桑山さんは常に、もう一度世界に飛び出そうという意欲を持ち続けていますよね。

アーロン・ベッキィ

スピリチュアルということ

桑山:どうでしょうね。確か1960年代半ばだったと思いますが、アメリカ以外の国で初めて展覧会に参加しました。アムステルダム市立美術館でした。大きな展覧会でした。ほとんどがニューヨークの芸術家ばかりで。もちろん他の国の人もいましたが、八割はアメリカ人でした。

ベッキィ:当時の館長はサンドバーグでしたね。

桑山:私が選ばれ、ペインティングを3点送りました。どれも6×6フィート大、3点とも同じサイズです。その一つは、三角形を四つ組み合わせたもの。残りは一本の斜線で仕切られたものと、正方形を組み合わせたもの、といった感じです。

ヨーロッパの人たちは、ああいった作品を見たことがないらしくって、私は記事で大々的に取り上げられました。その後、最初にコンタクトしてきたのはチューリヒのビショフバーガーで、初日に電話がかかってきました。もちろん知り合いではありませんでしたが、私に会いたいと。数日後に彼が訪ねてきて、いろいろ話をしました。

私の作品をとても気に入ってくれて「毎月お金を出そう」と言ってくれました。私たちが若かった頃、買ってくれる人など誰もいませんでしたから。2年間の契約を結んだおかげで、私もまともな生活ができるようになりました。

そして向こうで作品をつくりました。最初の作品は向こうで(ヨーロッパ)で作ったはずです。そこで一カ月を過ごし、彼がアトリエ、アパート、アシスタントまで用意してくれました。それがヨーロッパでのスタートです。この国では誰も買ってくれません。とくに私のようなタイプの作品はね。

ベッキィ:多くの人はそうですね。だからこそ、オランダ、特にドイツ、そしてデンマークなどの美術館では、1960年代の作品のコレクションがはるかに充実しています。

桑山:まったくです。そういった国々がアメリカの若い芸術家を支えていました。

ベッキィ:ええ、ええ、本当にそうですね。当時の人たちは、こんな疑問とも闘っていました。芸術とは何を意味するのか。そして、もし私たちが表現というものを超越しているのであれば、もはやこの世の情景を描写していないことになる。そして芸術家の考えを超越しているのなら、それ自体の存在は、そのもの以外の何も意味しないと。

ジャッドやル・ウィットのように規則性で実験する人がいて、作品についてではなく、規則の中で社会的関係を築いていくことを論じる一方で、他にも完全なる無、光だけを追求するような人もいます。桑山さんがトライしようとしていたことは何だったのでしょうか?

今もそれを続けていらっしゃいますよね。桑山さんはああいったことを一切していませんし、だからこそあの当時に始めたことは何で、今も続けていることは何なのでしょうか?

桑山:ええ、何と言えばいいのかわかりませんが、私が求めているのは、非常に難しいことです。それがわかれば、実際にやると思います。

ベッキィ:お話をうかがっていて、個人的にとても嬉しかったのですが、桑山さんも「スピリチュアル」という言葉を躊躇なく使い、何か精神的なものを追求している数少ない芸術家の一人です。ご自身にとって、それがどんな意味を持つのか、少し説明していただけませんか?

桑山:芸術と同じく、それも人間がつくり上げたものですよね。そしてやはり、表現したり、説明したりできない部分もあります。でも感じることはできます。ですよね? 優れた芸術からは何かを感じるものです。見えないかもしれないけど、感じられる。それが芸術の最も大切な部分だと思います。それこそ、いわゆるスピリチュアルだと思いますね。作品が優れていれば、誰かがそれを感じ取るのです。

ベッキィ:まず感情、感覚から入っていくのは興味深い考察です。私たちは通常、感情をもっと装飾的なものと結びつけるものです。桑山さんの作品は様々な点で、すべてではなく様々な点で違っていますよね。感情あるいは感覚について、もう少し詳しく説明していただけますか?

桑山:それで私はスピリチュアルと言ったのです。非常に説明しづらい上、全体像によっても変わります。人それぞれ感じ方は違いますしね。

ベッキィ:ファン・ドゥースブルフにこんな名言があります。「芸術が発展するにつれ、まず建築物が消滅し、続いて彫刻が消滅する。絵画はなお残されているが、その絵画も消滅した時、純然たる精神が下りてくる。その純然たる精神とは、まばゆい白光のようなもので、その後に自己が消滅する」

桑山さんの規範では、芸術家としての自己は消滅するかもしれないが、作品はまだそこにある。そしてより重要なのは、その作品が実際に生き生きとして…。

人それぞれが違うことを強調し続けています。私が知っている二〇世紀あるいは二一世紀の、芸術との関係性におけるスピリチュアリティの規範では、人格や個性、そしておそらく人間性も消える。しかし、桑山さんはそんな考えを信じていないように見受けられます。

桑山:いえ、信じています、芸術は……。どう考えればいいのかな、存在し続けるのはまさにそれらなんです。

ベッキィ:それらとは?

桑山:芸術です。

ベッキィ:なるほど。

素材によって自分自身が変化する

桑山:どのみち人の存在は消えます。しかし残るのは……芸術家が作品をつくり、誰かがそれを見る。そして何かを感じ取りますが、説明することはできない。私はそれが非常に大切な部分だと思ったのです。それが何なのか、うまく説明することはできませんが、それが大切だと。

ベッキィ:人間が消えるとして、誰が芸術と向き合うのでしょうか、それともどうでもいいと?

桑山:どうでもいいです(笑)。

ベッキィ:どうでもいい、なるほど。これは先に質問しましたが、どうお感じになられたのか疑問に思いまして、桑山さんがこういう風に話された時、私の心にまず浮かんできたのは曹洞禅のような日本の精神哲学なのですが、それこそ自分の意図することだと感じたことはありますか?あるいは、ご自身が日本の芸術家という枠組みの中に押し込められていると感じたことは?

桑山:これは私なりの方法だと、そう思います。スピリチュアルとは関係なく。日本のいわゆる精神哲学、あるいは禅や何とか、そういったところに属してもいませんし。

ベッキィ:桑山さんご自身の探求だと。

桑山:芸術のために。とてもシンプルなんです。

ベッキィ:長年にわたり、桑山さんは様々な技法を駆使して作品をつくられてきました。そして、そうした技法の一つひとつは、出発点である「手」から、かなり遠いところまで来ていますね。筆に始まり、重ね塗り、スプレー、金属、そして今ではチタンの電解処理と……、次は一体何でしょうか?

桑山:わかりません 教えてください(笑)。

ベッキィ:どうやって、さらに遠いところへ向かわれるのでしょうか?

桑山:何かあれば試してみるかもしれませんね。

ベッキィ:これも確かめたいと思っていたことなのですが、これまで何十年間と活動されてきて、ご自身のアトリエのすぐ隣には、同じく優れた芸術家である奥様のアトリエもあります。奥様の作品はまた、桑山さんとはまったく違うものなのですが、ある種の共鳴、残響のようなものを感じられますよね。お二人で意見を交換し、意識的に、あるいは無意識的に影響を与え合っているとお考えですか?

桑山:もちろん、ある程度はそうでしょうね。同じ屋根の下、一緒に暮らしているのですから。ただ技法や芸術などについて議論することはありません。彼女は切り絵で、私は違うことをやってきましたからね。でも当然ながら、助け合うことはできます。

ベッキィ:桑山さんの作品に対する奥様の論評は、とても説得力があります。いつも我が意を得たり、という感じですか?

桑山:とは限りません(笑)。もちろん、私が何を考えているのか、彼女にはお見通しです。

ベッキィ:奥様は紙を使い続けておられますね。

桑山:ええ。

ベッキィ:いつもではないでしょうが。時には金属も……。

桑山:はい。

ベッキィ:桑山さんも紙を使ったことがありますよね?

桑山:ええ。和紙をね。

ベッキィ:でもかなり前の作品でしたね。その後は?

桑山:かなり前ですが。私はいつも、スプレーガンで何かを描いていた時も並行して作業していました。(何をしていても)関係なく、何かを感じて。紙を使う創作も好きですしね。

以前、日本の国立美術館から大規模な展覧会の依頼を受けたことがあります。奥行きが数100フィート、幅が100フィートはあるような巨大なスペースで、通常の展覧会ではパーティションを使い、いくつもの小部屋をつくります。そのスペースはこんな形で、ここの長さが200フィートくらい、中央には支える柱がある。

ベッキィ:柱ですか?

桑山:ええ、広すぎますからね。依頼を受けた私はこのスペースを見に行き、とても驚きました。本当に広く、素晴らしい空間なんです。それで中央に壁を立て、この柱を隠すように頼みました。二つの部屋をつくろうと。パーティションは使わず、小部屋もなくします。

中央の白い壁を挟んで、ここにも…幅がとても長くて、この奥行きは25フィートくらい。それが二つ。私はこの壁だけを使い、この面を。両面を。こことここは同時に見えません。約4×4フィート大の白い、こことここ、こことここに。テクスチャーを変えて。こちらにはシンプルな長方形を2つ組み合わせて、どちらも4×4フィート大の正方形を。紙を貼り付け、組み合わせたものです。

この大きさで、線が一本だけ。繋ぎ目の線が。こことここにはまったく同じものを、このように吊るしました。こちら側と反対側は、大きさが同じで、同じ方法で、線が一本だけ。横か縦に。どちらもテープで。そういう展示でした。私はとても気に入っていたのですが、人によってはまったく理解されませんでした(笑)。

『桑山忠明展』ホワイト ストーンギャラリー台北

白い空間のインパクト

ベッキィ:面白いお話ですね。つまりそこでまさに、空間全体を使って取り組んでみたと。しかしそういうことをあまり頻繁にはされていないですよね。空間に作品を置かれているので。でもいずれまた挑戦してみたいと。

桑山:ええ。

ベッキィ:桑山さんのためにその機会を用意しないといけませんね。今回の展覧会では、いろいろ異なる空間を使われていますが、この建物は建築家の隈研吾さんが設計されていて、エントランスだけでなく、この部屋も非常にインパクトが強い、独特な空気に支配された空間になっています。それについての感想は?

桑山:いやー参りました(笑)。私の作品にとっては。本当に。正直に言って…。

ベッキィ:それでスクリーンを張らなければならなかったのですね。しかしだからこそ、その空間に対処する課題が与えられたのでは?

桑山:ええ(笑)。

ベッキィ:ホワイトキューブという概念は桑山さんが創作を始めた頃に登場していて、あなたの作品はすべて、あるいはほぼすべてが、この白い空間と切り離すことができません。そしてこの白い空間は、芸術に対する私たちの態度、姿勢を端的に象徴しています。根本的なあり方という視点からだけでなく、人間の経済活動やその他諸々の中で芸術はどうあるべきかという視点においても。

さらに非常に興味深いことは、初期の展覧会と初期の作品に関する書籍を読んでいると、その当時の流行、アートを購入する人たち、そして政治的思想との関係性をはっきりとうかがうことができます。しかし桑山さんは、そういったところから距離を置こうとしてきました。実際に距離を置くことができたと思いますか?

桑山:非常に難しかったですね。ノーと言えないこともありますから。それにほとんどの場合、美術館のためにという前提がありました。最近では事情が一変しています。作品ありきの創作で、納得してもらえます。

ベッキィ:芸術の歴史によって生み出されたという見方も、あなたの創作について考察する方法の一つです。二〇世紀初頭のマレーヴィッチの《白の上の白》《黒の正方形》から、ほぼすべてを黒で表現したアド・ラインハート、そして白い絵画を制作した人々に至るまで、発展があったと言えるはずです。ロバート・ライマンも白い絵を描きましたが、筆跡にこだわりました。そしてグループ・ゼロが登場し、旧来の美術的価値観を否定します。桑山さんご自身も、そういった発展の一部を担ったとお考えですか?

桑山:いえ。そうは思いません。彼らのことは知っていますよ。もちろん。

ベッキィ:それで作品に共通性があると?

桑山:ええ。

ベッキィ:しかし違う。

桑山:一人でいいんです(笑)。

ベッキィ:一人で?(笑)。とても興味深いですね。一人でいいと言う人は大抵、後ろ向きになります。しかし桑山さんは非常に積極的で、いまだにニューヨークでギャラリーを中心に活動し、その作品も販売されています。

この、より大きな社会経済システムの一員でありながら、そこから距離を置き、独自性を保ち続けるにはどうすればいいのでしょうか、桑山さんは、どうされているのですか?

キャリアを俯瞰できる展示法

桑山:私がやっているのは、何というか、作品が使われるので…。世界中から声がかかるんですよ。

ベッキィ:でも面白いことに、先程ヨーロッパで、特に北部で、より多くの鑑賞者に受け入れられるようになった経緯をお話しいただきましたが、今ではアジアでも広く受け入れられるようになりましたよね。とりわけ台湾や香港、そして日本はもちろん、おそらく中国でも。なぜだと思いになりますか?

桑山:どうでしょうね。日本は違います。美術館が寝ぼけているのか…。彼らは何もしません。それに私にとって、日本の芸術家は皆同じなのです。常に集団で物事を進めますし。それで私は日本を離れました。先ず体制ありきで。それが日本を離れた大きな理由です。

ベッキィ:これは危うい質問かもしれません。私たちは昨日、展示する作品を持ち合わせていなかったら、という笑い話をしましたよね。それで私は、それならデ・キリコのようなことをやって、ペインティングをつくり直せばいい、みたいな冗談を言いました。

でも少しだけ真剣に考えてみると、桑山さんの作品は、特定のカラーフォーマットを選択し、人の手が介在した感覚、技巧を排除することを重視するのだとして、同じ作品をつくらないのはなぜでしょうか?

桑山:興味があればやります。きっと、興味がないんです。

ベッキィ:なぜ興味を持てないのでしょう?

桑山:どうでしょうね。おそらく……、何かをただ繰り返すだけでは、芸術家にとって面白いことではないと思いますので……

ベッキィ:しかしある意味、桑山さんは同じことを繰り返し続けている、と言ってもまったく同じではないのですが、あなたの作品には反復や繰り返しの要素が強く現れています。それでもどういうわけか、まったく同じことを繰り返してはいない。

桑山:そうですね。

ベッキィ:どう違うのでしょうか。楽しくないだけですか。

桑山:素材という側面では、実際に、私は変わり続けています。何か面白い素材を見つけたら、それを使ってみたくなります。

ベッキィ:これまでたくさんのお話を伺い、しかも遠慮なく踏み込みすぎたように感じてもいるのですが、桑山さんがこの方向性を推し進め、進化するにつれ、興味深いことに作品がさらに抽象化していく……という感じがしました。

それと同時に、あなたは立ち返り、違う素材を使われる。そしてこれも非常に興味深かったのですが、展覧会では新作だけでなく、キャリアを俯瞰できるような作品も展示をされる。そういった芸術家は、桑山さんなど一握りしか存じません。

桑山:いや、あれは頼まれましてね。

ベッキィ:そうなんですか。でも実際、桑山さんの展覧会ではよくお見かけします。何か狙いがあってのことだと思っていたのですが、いかがでしょうか。単に過去の作品を展示したかったということですか?

桑山:ええ。それでいつも妻に小言を言われます(笑)。

ベッキィ:ええ、そうなんですか。

桑山:ええ、いつもね(笑)。確か昨日もそんなことが……。

ベッキィ:それが進化かもしれませんね。

桑山:1960年代初期の作品をよく頼まれます。それも私の作品ですから。

ベッキィ:その価値は変わらないと。

桑山:私にとって、芸術はエンドレスです。

ベッキィ:興味深いお話ですね。活動だけでなく、その目的においてもエンドレス。終わりがないと。

桑山:終わりはないですよね。

ベッキィ:ええ、作品自体にも終わりはありません(その通り)。作品に深みがなく?

桑山:そうです、ええ。時代遅れになり、役目を終えた作品もあります。世界は変わっているのです。そういった作品はもう不要で(笑)。

ベッキィ:最初に、どう始めるのかとお聞きした際、桑山さんにこう言われると思っていました。始めるのではなく、前に進む、あるいは続けるのだと。

桑山:ええ。何ごとにもスタートはあります。

ベッキィ:しかし桑山さんは見取り図を書くわけでも、朝起きた瞬間に青を使いたいなどとは言いません。ある意味、そこに始まりはないと。

桑山:ええ、そうですね。はい。続けるだけです。

ベッキィ:だからこそ終わりもないと…。

桑山:ええ、終わりありません。

ベッキィ:これもまた危うい質問かもしれませんが、桑山さんはもう何年も創作を続けておられて、いずれどこかで終わりを迎えることになるはずです。私たち一人ひとりに終わりが訪れるように。

桑山:ええ。

ベッキィ:その後もあなたの作品は残り続ける。

桑山:そう願いたいですね(笑)。

ベッキィ:どのように残ることを願っていますか?作品の設置に立ち会うことも、指示することもできない世界で?

桑山:わかりません。その時には、芸術とみなされていないかもしれませんね。壁に興味を持つ人など誰もいなくて。それぞれが自分なりの何かを求めた時に初めて、芸術が必要とされるのかもしれません。そういう意味で、おそらく終わりはないと。

ベッキィ:ええ。それでは桑山さん、今日は本当にありがとうございました。桑山さんの思考、作品への思いを伺えて本当に楽しかったです。

桑山:私も楽しかったです。

ベッキィ:ありがとうございました。

アーロン・ベッキィ(Aaron Betsky)について
1958年米モンタナ州ミズーレに生まれ、オランダで育つ。建築とデザインについての評論家。サンフランシスコ近代美術館で建築・デザイン・デジタルプロジェクトのキュレーター、シンシナティ美術館館長、ヴェネツィアビエンナーレ第11回展覧会の監督などを勤める。2015年にタリエシン(元フランクロイドライト建築大学)の建築学部長に任命される

書籍情報
書籍名:今、評価され続けているアジアのアート
発行:軽井沢ニューアートミュージアム
発売 : ‎ 実業之日本社
発売日 ‏ : ‎ 2019年8月6日

※本記事に掲載されている情報は発行当時のものです。現在の状況とは異なる場合があります。

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