ARTICLES
89歳の今がスタート|矢柳剛個展『ホップ ステップ ジャンプ』インタビュー
2022.07.15
銀座
矢柳剛個展『ホップ ステップ ジャンプ』展示風景
明快なエロティシズムとユーモアで世界に評価されてきた矢柳剛の個展『ホップ ステップ ジャンプ』が、ホワイトストーンギャラリー銀座本館で開催されている。個展開催を記念して、アーティスト・矢柳の制作活動に迫るインタビューを前半・後半に分けてお届け。矢柳のアーティスト人生を振り返る前半に引き続き、後半では同展『ホップ ステップ ジャンプ』におけるテーマや制作、今後の展望についてアーティストにインタビューした。
《夢蛙. 春が飛んできた!》の前に立つアーティスト・矢柳剛
矢柳剛が『ホップ ステップ ジャンプ』に込めたテーマとは
矢柳剛個展『ホップ ステップ ジャンプ』展示風景
ー今回の個展タイトル『ホップ ステップ ジャンプ』にはどんな意味が込められていますか。
矢柳:『ホップ ステップ ジャンプ』はスポーツ用語で“三段跳び”という意味だよね。僕は田舎から東京に出てきて、ゴッホ(フィンセント・ファン・ゴッホ、1853年 - 1890年)の作品に衝撃を受けて絵を描き始めた。そこがホップ。そして世界を回って旅をしながら絵を描くというステップを経て、ジャンプは今ですよ。
絵を描き始めてからの70年は瞬く間に過ぎていった。今ここでもう1度大きく跳んで、未来に向かって羽ばたいていかなければいけない。この瞬間、前を向いて跳んでいく、そういう意味を込めて『ホップ ステップ ジャンプ』とつけました。
メインビジュアル《地球共存》の制作について
矢柳剛《地球共存》2022, 162.0 × 130.0cm, カンバス・油彩・アクリル
ー個展のメインビジュアル《地球共存》について、制作の意図や思い入れを教えてください。
矢柳:これはブラジルに行ったときの光景を描きました。サンパウロからリオデジャネイロへ車で行った時に牛と馬を見かけたのです。その光景を見たときに「自分は本当にブラジルに来たんだ」と実感して、自分自身と会話したような気持ちになれたんです。
ー《地球共存》は青い線で画面全体を大きく区切っていますが、これにはどんな意図が?
矢柳:空間のせめぎ合いを表現したくて、区切りのある構成にしました。左右にストライプがあり、真ん中には得体の知れないハートのような物体がふんわりと浮かんでいる。タイトルそのままに、地球共存がテーマです。地球は共存体であって、生き物はすべて共存している。大変な地球環境になりつつあるけれども、共存していかなければ人類の未来もないという想いを作品に込めました。
矢柳剛《色彩は心の花》2022, 60.8 × 72.7cm, カンバス・油彩・アクリル
ー矢柳氏の作品には不思議な構成やフォルムが多いですよね。モチーフはどのように決めているのですか。
矢柳:僕は田舎で育ちましたし、家族が牧場をやっていたので、小さい頃から生き物と一緒に育ちました。帯広農業高校では畜産科に在籍していましたが、そこで動物の解剖を随分たくさんしたんです。馬特有の病気で「伝貧(でんぴん)」という感染症があります。それを見ると、有機体が知らず知らずのうちに身体に入っていることを思い知らされるわけですね。
そのことをいつもは意識しないけれども、制作を続けていると、描いているものがへんてこりんな形になったり、ぐにゃーっとしたり、直線と曲線がぐにゃぐにゃっと交わったり、自然にそういう面が出てくるのですね。それが僕の絵じゃないかな、と自分で思っています。
矢柳の代名詞であるストライプ模様の原点
矢柳剛《自然の生態》2021, 45.5 × 53.3cm, カンバス・油彩・アクリル
ー矢柳氏の作品には初期から最新作まで、多くの作品にストライプ模様が登場します。なにか想い入れがあるのでしょうか?
矢柳:僕が絶えず入れているストライプは、アフリカで出会ったシマウマがもとになっています。アフリカの大自然で僕が見たのは、群生から離れて、ただ一匹ぽつんと立っていたシマウマです。そのシマウマを見た時に、僕ははっとした。「なぜあの1匹は存在しているのか?」「黒と白、これは自然の基本の色なんだ」と確信したのです。
その後、僕は黒と白という2つの色の勉強をフランスで徹底的にしました。黒白をきちんと理解しないと、色は使えません。黒白という色が一番美しい。僕は白は生命、黒は死だと考えています。「生まれて死ぬ」は生き物に対しての絶対命令であって、生き物の中にはそんな両極端の存在があると考えています。
“自由に制作する” ことがアートにとって一番難しい
展示風景より
ーインタビューの中で「自由に」というワードが幾度か出ましたが、矢柳氏にとって自由に表現することは重要度が高いのでしょうか。
矢柳:とても重要なことです。自由というのが一番難しいですよ。自由というのは逆説的に見れば非常に制限されている状態です。言葉としての自由はユニークな存在に見えるのだけどね。僕は絵の世界で自由ほど難しいことはないと常々思っています。
ー毎日制作されているということですが、制作のためのルーティンはありますか。
矢柳:もちろんあります。こうやって話していても、どこにいても、辺りに生えている木や植物などが、四季折々に僕にヒントを与えてくれています。
自然は正直ですよ。自然は絶対に嘘をつかない。花は咲いて散っていくけれども、それで終わりではない。循環しているのです。自然はちゃんと生きているのです。自然のそういった面は、普通に過ごしていると分かりません。だけど、自然の存在や構成が1つの美しさを持っているわけですね。
例えば、蛇口を捻ると水道から水が出て、シンクで渦を巻いて、ひゅーっと下に流れていきます。水はただ落ちているように見えるけれども、実際はそうじゃない。引力の力に沿って流れているのです。たったこれだけのことからも教えられる面がある。
だから、日々生活をしている中で見つける、瞬間的な美しさ、速さ、時間、音、そういう面がこの歳でやっとわかるようになってきましたね(笑)
展示風景より
ー矢柳氏の作品には、有機体や原始的な官能美を題材にしたものが多いですが、“自然は正直だ”という考えからきているのですね。
矢柳:自然は嘘をつきません、絶対にね。反対に地球上で人間ほど横暴なものはいないと思うのですよ(笑)。自然は敏感というか、自然そのものが宇宙というか、絵の言葉でいえばしっかりとした構成がある、と言えるのでしょうね。
自然には様々な要素があるけれども、そこにはアートがあるんですよ。自然の中にはいろいろな美があって、その美を感じ終えてから制作に入ると、自然の美が芽が出るようにぽんぽんと表れてきます。
画面構成やフォルム、色彩の決め方
矢柳剛《飛龍に乗って未来へ》2021, 162.1 × 130.3cm, カンバス・油彩・アクリル
ー近年の矢柳氏の作品は画面構成がしっかりしているものが多いですね。これは描き始める前に構図が決定しているのですか。
矢柳:構図はある程度決めてから描きますが、制作中に変化していきます。小さいけれど目に見えないところで、描きながら絶えず自分と戦っている。構成にしても、色彩にしても、フォルムにしても、デッサンで決定したものを実際にキャンバスにぶつけていくと、「いやちょっと待てよ、このフォルムは甘いな」「色彩のバランスが崩れているな」と、デッサンでは気付かなかった部分が見えてきて、絶えず葛藤しながら描いています。
最終的には理屈ではなく、自分と作品の空間のせめぎ合いがピタリと一致するのです。大きな声で「よしっ!」と自分自身に言って、そこでやっと終わりです。よしと言うまでは終わりではないから、寝ていても、食事していても、何をしていても、制作している絵のことばかり考えています。
展示風景より
ー矢柳氏の作品は陰影を排した鮮烈な彩色が特徴ですが、色に関してはどうですか。
矢柳:「次はどんな色を使おうか」とよく考えます。僕の絵は色ゲームみたいな作品ですから、色がきちんと重なっていかないと、ぐちゃぐちゃになってしまうのです。だから、1回や2回塗っただけではダメ。色によっては5、6回塗り重ねるわけです。そうしないと、空間性が確立しないのですね。
そして、塗り重ねられた色はまったく見えません。下に沈んでいます。だから見る人によっては「塗り絵みたいな絵だね」と言われることもありますが、自分で納得してここまでやってきました。僕にとって色彩は太陽なのです。太陽がなければ色は出てきません。
僕がパリで一番学んだのはステンドグラスでした。シャルトルのステンドグラスは世界的に有名ですが、毎日その教会へ行ってステンドグラスを見ました。シャルトルのステンドグラスはいつ行っても違うのです。赤は赤、青は青、グリーンはグリーンだけど、1秒1秒の光の関係性でその時々の美しさがあるのです。光があるからステンドグラスの素晴らしい色が出る。夜になったら色は見えなくなってしまうわけ。だから、色彩は光と共生していて、それをどのように解釈するかだと考えています。
アーティスト・矢柳剛の今後の展望
矢柳剛《夢蛙. 春が飛んできた!》2022
ー今後の展望をどのようにお考えですか。
矢柳:絵を描き始めて70年余りが過ぎましたが、僕は今スタートしたばかりだと思っています。《夢蛙. 春が飛んできた!》は蛙がジャンプする様を描いた作品ですが、この蛙のように、自分も今スタートしたばかりです。
天命というものがあるから、自分がこれからどうなるのかは分からないけれども、行けるところまでジャンプして進み、自分の好きな絵を描いて生きられたら良いなと思っています。
自由に描くように、自由に鑑賞してほしい
自身がデザインしたジャケットを着用している矢柳剛。ファッションへの造詣も深い。
ー最後に今回の個展をどんなふうに見てもらいたいですか?
矢柳:絵と対話してもらいたいですね。まず絵に向かって「この絵は何なのか?」 と考えてみて欲しい。「変な形がある」や「色や配色がちょっと違う」という感じに、自由に見てもらいたい。見てすぐに何も感じなくても、文学を読んで想像を膨らませるのと同じように、絵の奥を見ていただきたいのです。
僕はその人の人生が深ければ深いなりに、絵も哲学的に理解されていくと思うわけです。全然絵がわからない人でも、絵を見て感動することがあります。絵に限らず、芝居や音楽でも同じだね。それぞれの人の人生や歩んできた場面に合わせて、いろいろな感じ方ができると思います。
だから、気張らないで見てもらいたいですね。
展示風景より
大学生の時にアーティストを志し、70年以上もの歳月をアーティストとして過ごしてきた矢柳剛。国際的な場での作品発表や国内外の美術館による作品所蔵など既に多くの功績があるものの、個展に対するインタビュー中は「僕はまだまだこれからです」「スタート地点に立ったばかり」といった、謙虚で前向きな発言が数多くあり、矢柳が自身の新たな可能性を模索している様が見てとれた。アーティスト・矢柳剛によるこれまでのホップ、ステップ、そして大きなジャンプを、会場とオンラインエキシビジョンで目にしてほしい。