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作家・向井修二が語る|思想的背景を持たない「具体」の実情
GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1
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向井修二
具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第10回目は具体美術協会に所属していた作家・向井修二と、美術史家の本江邦夫の対談をご紹介。所属メンバーだからこそ知っている当時の“具体“の実情を、向井と本江の軽快な会話でお届けする。
従来の「絵」の否定から「記号」へ
向井修二×本江邦夫 対談
本江 最近しみじみと「具体ってすごい人材の宝庫だったんだなぁ」と思っていたところです。
向井 (主宰の)吉原治良が、形にとらわれないという意識でアイディアをだし、雰囲気作りもやりました。それが嫌な人は皆早くにやめましたが、残った人達は仰るとおりバラエティに富んで個性的でしたね。具体の根幹となったのは、嶋本昭三などモダンアート協会にいたグループ、それからゼロ会を解散して入ってきた田中敦子、村上三郎、金山明、白髪一雄の4人がインテリジェンスを与えたことで、具体のグレードがかなり高くなりました。
本江 なるほど、そういう流れなんですね。辞めた人たちは美意識が合わないということですか。
向井 もっと自由でいたいという考えでしょう。吉原治良は「臭い」「汚い」が嫌いでね、絵描きの集まりにも「ネクタイをして来い」と言う人でした。マナーをそんなふうにうるさく言う会はないでしょう。治良はボンボンですから。
本江 面白い!こんな話は初めて聞きました、今。
向井 のちにミシェル・タピエが登場して「グタイピナコテカ」※と命名する美術館も、江戸時代から続く吉原家の蔵です。二科会とうまくいかなくて、好きなようにやりたいと独立旗揚げしたのも治良の坊ちゃん気質でしょう。メンバーは、芦屋の吉原邸に作品を持ち込んで、審査に通ったものだけを残すというのを年に2度くらいやりまして、集まるのはオープニングパーティーくらい。メンバーが揃って食事をしたのは、18年間で一度だけです。芸術論を戦わせるような場はないし、全体の運営に関わらないから「(治良の家業である)吉原製油のお蔭で会費も安い」といわれる調子でした。もっとも、治良の想定した以上にお金がかかるから会費で運営しよう、と会員を募ったんですが、人数が増えて立体物が入って……具体としては大きな境目でした。
本江 具体のメンバーである、という自覚は皆にあったんですか。
向井 それはタピエが海外にアピールして、具体の評価が高まって以降、寄らば大樹の陰、です。タピエは画商でもあったから、世界中で展覧会を成功させて、ジャスパー・ジョーンズをはじめ、世界のトップランナーがピナコテカまでこぞって見にやってきた。外国で評価されないと日本人は評価してくれないですからね。
本江 読売新聞ニュースだったかな、東京展で白髪さんの姿が報じられたのを見ましたが、少しからかうような感じでした、確かに。
向井 そうそう、国内ではばかにされてましたよ。
本江 でも、具体は戦後日本の美術で非常に重要な位置づけをされました。それがマーケットにも通じると示して火を点けたのが海外の影響ですね。向井さんは、具体とどう関わりを深めましたか。
向井 僕は具体そのものについて何も知らない状態で、まず白髪一雄の影響を受けました。1959年の京都展で、200号の作品を8点見て「どういう人物なのか」と。一般に白髪と言えば「足で描く作家」ですが、僕はその作品から「絵の中に入る」という意識を感じたんです。それまでは「絵と対立して描く文化」でしょう。そこで従来の「絵」をすべて拒否しようと、絵の具や筆を使わないというレベルから、砂を使ったり。私の《部屋と記号》という作品は、フレームで部屋を作って(記号という形で)作者が絵に入り込んでいる、白髪と同じ観点に立ったつもりです。次に影響を受けたのは金山明。掃除機の「ルンバ」に絵の具がついたような機械がぐるぐる動き回って絵を描く、その横で本人はあぐらをかいて寝ているんですよ。「向井君、作品っていうのはどこで止めるか、なんだよ」─オートマペインティングであっても出来上がりを決めなければいけないからです。そういった方法論の面白さに、大きく影響を受けました。
本江 自分が誰に影響を受けたのかはっきり言う人は珍しいですね。率直に言えるのは自分に自信があるからでしょうきっと。
向井 それほど大した人物が他にはいないということでしょう(笑)。
本江 そう聞くとガックリきます(笑)。
向井 いや人物を知ってるからこうなんですよ。作品と人物は関係ないですから。
本江 そりゃそうだ─でも私はもう少し華やかなものがあったんじゃないかと思ってるんですけど、どうですか。
向井 華やか? どういう意味で?
本江 ライバル同士喧嘩もするけど、気持ちが沸き立っていた、とか。切磋琢磨したとか……。
向井 頑張っていこうという気持ちは皆そうです。よその世界みたいな陰口は聞こえないし、意地悪さもない。ただ僕は20代でたまたま認められて、タピエが来るたび絵を買ってくれて、堂本印象、勅使河原蒼風、吉原治良と展覧会で作品が並んで(仏ストダラー画廊「繰り返しの構造展」)……仲間としては面白くないでしょう。本人にすれば高い値段で売れてるわけじゃなし、預かってはうやむやの画商の世界だし。
本江 タピエは即金で買いましたか。
向井 いろいろです。フォンタナの描き下ろしとバーターになったり日本の画廊が間に入ったり。とにかく、具体を賛美するなら哲学的な言葉でも並べればいいんでしょうけど、そうすると具体のあり方と乖離する。具体は皆あっけらかんとしていて、それがいいところだと僕は思っています。見る人に作品を委ねて、「いい」「元気をもらえる」と思われたらそれでいい。抽象絵画についてもっともらしいことを言われたら、絵の中にそれを探すでしょう。それでは、絵を見ることになりませんからね。
思想的背景を持たない活動
本江 向井さんが考えている具体っていうのは─。
向井 ノールール、「何をしてもいいんだ」ということです。それで「美術の既成概念をすべて否定しよう」と。
本江 でもダダではないんでしょう。
向井 ええ、ダダのような思想的背景は具体にはまったくありません。ただ、絵が売れたことが最大の欠点でしょうね。僕は当時、制作中に遠くのトイレまで行く手間を惜しんで、絵にだーっとおしっこをかけた。
本江 ええ、有名な話ですね(笑)。
向井 たまたま展覧会でそれが売れて……何でもいいんだ、と。それから僕はちょっと美術というものをナメました(笑)。持っているものなら何にでも、本箱にも椅子にも、展覧会で絵の数が足りなければ雨戸を外してでも描いた。面白いこと、自由なことをできるのが具体だし、タピエの功績で評価を得たお蔭、こちらが無方向にいろんな事をしても額縁に入れて展示されれば絵画として成り立つ、という皮肉な感じで見ていました。米国では、具体を「社会運動」ととらえる人がいて、社会的背景との関連を訊かれますけど、そんなものはないです。
本江 社会的背景はまったくないですか。太平洋戦争も?
向井 皆さん関係性を求めますね(笑)。でも関係ない。そのために絵を描く必要がない─能天気だとは言わないけれど、自由の範囲というものが少し違うんでしょうね。(具体として制作コンセプトがあるとすれば)幼い子供が、時間が経てば興も冷めるようなものを宝物だと取って置くのに似ているかもしれない。美術的な表現の世界にはなかったものを取り上げると、突飛で戸惑うでしょう。具体の初期は皆が方法論を研究して、ピナコテカ以前が一番面白かった。美術だ絵画だと主張するにも、一人じゃ難しい、何人か人間がいるから「表現」になる。村上の紙破りは、江戸時代から舞台で使われているし、元永定正の流しは染めの世界、白髪の泥遊びもお祭りに見られるものです。
本江 極端に言えば、具体というものに思想はなかった、ということですか。
向井 それは吉原治良の中にある思想と感性ですね。
本江 感性? それが絶対的基準ですか。
向井 治良のフィルターですね。まぁデザイン会社の社長が「これじゃダメ」「よし!」と言う感じですか。「見てわかるものに文字はいらない」とか。生前に作品タイトルをつける許可を得たのは白髪だけ。そのかわり中国語で「絶対に意味のわからない言葉にしろよ」と。入り口が曖昧で、遊び心からスタートしてるから、論理的なことを言う人が具体にはあまりいないんです。治良の文章もないでしょう?
本江 具体で宣言したのは「芸術新潮」に載ったものくらいしかないですよ。
向井 「床の間芸術を排除しよう」というくだりが僕は面白かった。研究者は今国内より海外の方が多いですが、吉原治良作品の研究はされても、いろんな人達を掌に乗せたという治良の考え方については研究されていないですね。具体の撮影を一手に引き受けていた吉田稔郎が早くになくなって、記録が途絶えたのも残念なことです。僕は、自分が具体にいた時期を人生ののりしろだと思ってます。面白かったし、そこから羽ばたきましたから。
「具体は未完成である」!?
本江 向井さんは最後まで具体にいらした。
向井 そうです。ただ終わりのほうで、「美術家として美術の領域を拡大しなさい」という治良の命令を受けて事業をやりました。そのとき外に出て始めたのがジャズ喫茶「チェック」です。タピエも驚いていましたが、今でもインスタレーションの原点はあそこです。タピエが海外に具体を伝えたとき、運搬の都合上、平面作品中心になった。お蔭で元永の水とか白髪の泥といった作品のウケがどうもよくない。美術的な記録写真になっている。
本江 別の見方をすると、平面絵画をちゃんと残したから今日の具体はあるんですよ。
向井 そうですね。経営者でもあった治良の商売センスもあったかもしれないし。ただ、今はネット時代ですから、「画集」という完成した途端に古くなるものではなくていい。ネット上で参加していく方向だとか、CGという新しい視覚表現に具体がどう対応できるのかとか、やっぱり僕は主張したいんですよ。
本江 「具体は未完成である」!?
向井 僕にとって具体は、何も完成していませんよ。亡くなった方についてはそれまででしょうし、あらゆる事をやってきてはいますが、まだまだ表現の方法はたくさんある。生き残った人間は、具体が、新しい表現の外側にあるとは思いたくないわけですよ。
本江 メンバーそれぞれに具体があるんですね。
向井 そうそう、各々に各々の考え方を尋ねればいいんですが、答えられる時期じゃない。金山明なんか、話してると気骨があって好きですけどね。
本江 向井さんが今やろうとしている事は。
向井 鏡です。見る人が自分の姿を映すことで面白いことをやりたい。曲面の鏡を使って「見る」行為を新しい経験にする参加型です。僕にとって具体は「新しい生き方の提案」でした。今でこそ新聞に載るなら「文化面」ですが、リアルタイムでは「社会面」。社会的実験とみなされていたんでしょう。具体の活動を美術なのかと問われれば「どうかなぁ」という感じが僕にはあるけれど、美術の領域を拡大したことは確かなんでしょうね。
本江 それが具体だ、と。深い洞察ですね。非常に面白いお話、ありがとうございました。
(月刊美術11月号2014年に掲載)
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