ARTICLES
具体と児童美術|浮田要三「人間くさい子どもらしいのがイイ」
GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1
31/35
具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第31回目は具体と関わりの深い“児童美術”を語る上で欠かせない人物の浮田要三をご紹介する。児童詩誌『きりん』の編集に携わりつつ、「童美展(児童創作美術展)」の審査員を長らく務めてきた浮田。「童美展」でのエピソードや児童美術に対する浮田の姿勢を、保育現場で絵画製作の活動を行う金川富紀子に尋ねた。
浮田要三は 常に子どもの神髄を知る
金川富紀子(保育造形の会 研究員 五字ヶ丘幼稚園 絵画製作専任講師)
浮田要三先生とは、「童美展」で出会いました。浮田先生は、「童美展」の審査員をされていました。
「童美展(児童創作美術展)」とは、1950年以来、芦屋市にて毎年開催されてきた、子どもの造形作品を対象とした公募展のことです。子どもが本来的に持つ自由でたくましい想像力の育成に寄与するために始まりました。当初「童美展」の主導的立場におられたのが「具体美術協会」リーダーの吉原治良先生でした。
この展覧会に出品する作品は、材質や素材、画材も全く自由で、平面作品の大きさも2mまでであればこれも自由、立体作品や粘土作品も審査されるなど、型破りな子どもの創作を積極的に評価する姿勢によって、全国的にも例のない極めて独創的な展覧会として、早くから知られていました。
今から約10年前、「童美展」でのことです。
「浮田先生は、どのような子どもの作品がイイと思われますか?」と、お尋ねしたことがありました。
「ボクは、昔から子どもが人間くさくなってつぶやいたことばがイイことばになりイイ詩になると思う。子どもが人間くさく遊んだ後が、いい作品になるのだと思うよ。人間くさいものは、人の心に入り込むからね」と、笑顔でこたえて下さいました。そして、こうもおっしゃいました。
「昔、ボクが『きりん』の発刊に携わっていた頃、そこに掲載された子どもの詩で、忘れられないことばが数多くある。五字(ヶ丘)の先生(私のこと)、子どもがすごく悲しんで書いた詩に『なみだが心の中で泣いています』ということばがあるけど、どう思う? 子どもでないと出来ない表現、ボクの胸が熱くなることばだね。理屈で言い表せないだろう? だから今審査している作品も、人間くさい子どもらしいのがイイ」
私は子どもの絵のことを長年研究して参りました。このお話を聞いて、今までいろいろな方にお会いしましたが、浮田先生のこのことばは、私の心に強烈な印象を残しました。一生を左右されるぐらい偉大な方だと思ったのでした。
『きりん』といえば、浮田先生です。私の恩師(故曾根靖雅先生)からも、月刊誌の『きりん』のお話を聞いたことはありましたが、長年編集に携わってこられた浮田先生から直接お話をお聞きするのは初めてのことでした。この時の会話は、時間にすると数分ではありましたが、まるで自分が遠い町をさまよって歩いているうちに、やっと探し求めた場所にたどり着いた、立ち止まったところに浮田先生が目の前にいらしたように感じられました。多く語らずとも「なみだが心の中でないています」や「人間くさい表現がイイ」ということばをいただき、子どもの作品の本質や哲学の深い部分を伝えて下さったのだと思っています。
この頃から、私は保育現場での造形活動(絵画製作)の場で、自園だけでなく他園へ研修に出かけても、出来る限りその場での子どもの声を聞いて書きとめていくようになりました。そうすることによって日々の保育のあり方も見えてきました。保育をしている先生の良いところや困っているところも理解できるようになってきました。
『きりん』には、自由の思想と哲学的なエゴイズムが一貫しています。浮田先生と子どもの絵のことは、童美展の審査員でないとわからないぐらい、浮田先生は、常に子どもの神髄を知っておられた偉大な方だと思うようになりました。
「童美展」は、歴史ある展覧会でしたが、諸事情のため、2008年の第58回をもって、多くの方々から惜しまれながら幕を閉じました。子ども達の素直な表現作品は常に生まれています。これからの幼児教育において、本当に大切にしていかなければならないことを継続していくためにも「童美展」にかわる場を必要としていました。そこで、有志の園が集まり「保育造形の会」を立ち上げました。童美展の意志を引き継いだ「保育造形展」は、浮田先生を始めとした童美展の審査員の方が引き続き審査を引き受けて下さいました。おかげさまで、どんな時代になろうが、子どもの心を心に受け止めていける会を立ち上げることができました。
「保育造形展」の審査をされているときは、いつも目を輝かせておられました。また、審査会場に来られる時には杖がわりのストックを両手に持ってゆっくり歩いておられたのに、審査が始まると杖なしで、走り回るかのように作品の間を縫ってすたすたと歩いておられました。
「この作品の、つぶしたりするのはおもろいなぁ」
「一生懸命汚れたものは、魂がこもっとる」
「この作品、ゴミみたいやけど、子どもらしいなぁ」
「手をつかって遊びまわっとる。おもろいなぁ」
「ボクが好きなん、これや!」
「どこまでも丁寧やなぁ」
「これ、ええなぁ!」
と、いつも愛情たっぷり一つ一つの作品をいとおしむように、審査をしてくださいました。「これはいい! 子どもといえども一流のアーティストやなぁ」と真剣になって言って下さいました。浮田先生の大きな声は、保育造形の会に属するそれぞれの園の先生方へのエールとなりエネルギーとなりました。
また「保育造形展」の審査の前に、実際の子どもの絵画製作活動を見て下さっている時、子ども達からは「おっちゃん、ぼくの作品、これ! 見てー!!」と声をかけられると、
「お! これか、おもろいなぁ」 「わたしのも、見て!」「どれどれ…」 「おっちゃん、この棒高くしたいから、これもっといて!」「わかった!」
そんなやりとりが今でも思い起こされます。子ども達の活動に、違和感なく一緒になれる…そんな先生でした。
今年12月に、神戸市の兵庫県立美術館ギャラリーにて「保育造形展」を開催する予定です(12 ╱ 10 ~ 12 ╱ 14)。きっと天国から、浮田先生は「お!これおもろい!!」と叫ばれることと思います。子どもの作品をしっかりと見てくださり、子どもの柔軟な発想を大切に、子どもの神髄を知ることのできる偉大な先生でした。
(月刊ギャラリー5月号2014年に掲載)
本記事に掲載されている情報は発行当時のものです。現在の状況とは異なる場合があります。