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児童美術に長年携わった浮田要三の絵画教室「アトリエUKITA」とは

具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第32回目は具体と深い関わりのある児童詩誌『きりん』の編集を務め、自身も作家として制作活動を行っていた浮田要三にスポットを当てる。吉原治良との出会いをきっかけに制作を開始し、途中20年もの制作活動中止を経て、60歳にして再び活動を再開した浮田。後年開いていた絵画教室「アトリエUKITA」のメンバーの1人、森川敏子氏にアトリエでの浮田の様子を伺った。


アトリエUKITAはどんなところだ

森川敏子(アトリエUKITA メンバー)


アトリエには、私も含めてですが、障害やさまざまな生きづらさを抱えながらも生きようとする人たちが集まっていました。浮田要三先生は、いつも私たちそれぞれの生活を気にかけておられ、どんな生活をしているのか、よく耳を傾けておられました。時に激しく混乱し葛藤したりしているときにも、先生は見守り、励まし、だれに対しても常にあたたかい眼差しを向けておられました。先生は、私たちの偽りのないありのままの感性そのものがふっと現れ出たような作品をとても楽しみにしておられて、そういった作品を見ると大喜びされ、「すごいね。素晴らしいね」とほめてくださり、そこからまた自分も学ぼうとされていました。先生は、上手に作ろうとか、買ってもらえる作品を作ろうとか、そんな気持ちで作品を作るなといつも言っておられて、そんな作品を作るとすぐに見抜いて、ダメだとはっきりおっしゃいました。先生は「人間とは何か、自分とは何かを考えることが、人間の仕事」。「大事なことはtruth」「嘘がないこと」と私たちに口癖のように言っていましたので、私たちもその言葉を自分自身に問いかけながら作品を作っていました。

アトリエでは、要らなくなった昔小学校で使っていた木の椅子や子どもの勉強机など、日常の生活の中から転がり出てきたようなものを使っていました。作品に混じって、不用になったドンゴロスやダンボール、幼稚園からもらってきた色画用紙の切れ端、木の切れ端などが宝の山のようにあり、そうしたごみとして捨てられるようなものから作品をつくること、それらに命を吹き込むことを大事にされていました。先生は「絵を描くな。モノを作れ」と私たちに言っておられたので、私たちもそのようなものから作品を作りました。先生は、「日頃から感性を磨くことが大事」と言っておられました。作品をつくる、生活する、生きるということがつながっていると感じました。アトリエの中は、「モノ」との対話、作品との対話、自分自身との対話、人と人との対話が、充満していたように思います。

アトリエに行けば、先生の腹から響くようなエネルギッシュな大きな声と、ユーモアあふれる会話と笑顔がありました。先生はとても心が大きい方でした。私たちにとってアトリエUKITAは自分を解放できる場所であり、自分が自分でいてもよい場所でした。先生の人間に対するあたたかい眼差しと作品への厳しい眼差しとを、忘れることはできません。アトリエUKITAは作品づくりを通して、生き方を学ぶ場でした。先生はアトリエを心から愛しておられて、「ここに来れば現代美術の作品が気軽に安く手に入るという所にしたい」と、亡くなる半年ほど前からアトリエの壁面に板を貼り付け、生徒の作品を展示できるようにして、アトリエが自分の死後も続くことをとても強く願っておられました。

(月刊ギャラリー5月号2014年に掲載)

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