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名坂有子がインタビューで語る|「円」がもつ無限の可能性
GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1
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具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第16回目は「具体第2世代」と呼ばれた名坂有子と、美術史家の本江邦夫の対談をご紹介。名坂の作品を語る上で避けては通れないモチーフ”円”と、晩年に制作を再開した当時の心境について語られた。
芦屋市美展への出品、吉原治良との出会い
名坂有子×本江邦夫 対談
本江 名坂さんは「具体」のメンバーなんですけど、もともとは美術部にいてデッサンとかもしていた経験はあるんですか?
名坂 高校生の時は美術部にいて、建物や人物を描く人たちに混じってデッサンをして、絵を描いてました。でも、そういうことが自分には向いてないなぁ、と自覚してきたんです。
本江 もともとは何になりたかったんですか?
名坂 漠然とグラフィックデザイナーと思っていましたが、高校生の頃、よその高校の演劇部の背景を手伝ってほしいと言われました。でも私は「将来、女流画家になるのだからそんなことはしない」と言ってしまって……。本当は、舞台の背景なんて大きな作品を描く体力が無いだけだったんですけどね(笑)
本江 その後大学を卒業して、芦屋市展に出品を始めて、吉原治良から評価されたんですよね。市長賞も受賞している。「具体」には入りたくてもそう簡単に入れなかった、とも聞いてますが、名坂さんの場合はいかがでした?
名坂 それが、難しいとは思わなかったですね。そして吉原先生からは、叱られた記憶もないんです。私自身も、芦屋市美展に出品した時は、先生のことをまったく知りませんでした。
本江 それは珍しいと思いますよ。厳しいことで知られた方でしたし。そして、グタイピナコテカ(※)で個展も開催することになる。その時は、誰も吉原さんの呼びかけに立候補しなくて、指名されたそうですね。
名坂 そうなんです。先生が誰か個展をしないか、と2~3回皆に聞かれたのですが、誰もそれに答えずシーンとした中で、私の名前が呼ばれまして「はい」と返事をしてしまって。
本江 ピナコテカの展示会場は広かったんですか?
名坂 はい。294 × 620 cmの平面と作風のちがう絵を2点、それと立体を出品できました。とにかく広かったですね。その時自分が持っていたもの全てを出した個展でした。ピナコテカには海外からも、たくさんの芸術家たちが来られました。私の個展の時は、サム・フランシス、ラウシェンバーグ、ポール・ジェンキンス、ジョン・ケージとマースカニングハム舞踏団の方々が来られました。
本江 まさに錚々たる面々だ。楽しい経験だったでしょうね。
名坂 当時は20代ということもあり、本当に楽しかった思い出です。
本江 「具体」展自体は、当時、毎月開催だったんですよね。女性だということで損をしたということはありました?
名坂 毎月の出品には、かなり体力が必要でした。当時、女性作家は、田中敦子さん、山崎つる子さん、大原紀美子さんなどおられましたが、作品次第でした。思い返せば短期間でしたけど、激しい時間でもありました。深夜まで平気で制作をする日々を重ねて、ひたすら頑張るだけでした。
本江 では、激しくも楽しい経験ができた「具体」とは、名坂さんにとって何だったのでしょう?
名坂 本当に楽しかった時間を過ごせた贅沢な空間と場所でした。素晴らしい人々と作品の出会いです。そして、吉原先生が急逝されまして、悲しみのまま「具体」が解散となり、さらに時間が経った現在でも、みなさん制作を続けておられます。その精神力、体力を生み出したこともすごいと思います。今は皆様に感謝しております。
「円」に見い出した無限の可能性
本江 吉原治良といえば「円」ですけど、名坂さんも「円」ですよね。でも、名坂さんのほうが先のような……。
名坂 確かに、どちらも「円」ですね(笑)。私は先生と違って、我流で制作していただけです。
本江 名坂さんは、なぜ「円」なのでしょう?
名坂 自分でも、どうしてなのかなぁ、と考えるのですけど、実家がメーターの製作所で、工場内で丸い圧力計や温度計などを普段の生活で見てきたという環境が関係しているのかな、と思います。
本江 制作を続けていく中で、さらに「円」にこだわるようになったのは?
名坂 「円」を描けば、そこからいろんなことができる、作品は広がっていくという可能性の大きさが分かったんです。
本江 「円」を描けば作品になる、ということなんですね。「円」が絶対的な形式なわけだ。
名坂 そうですね。といっても私はそれほど大それたことは考えてないんですけどね(笑)。
本江 いえいえ、そんなことないです。19世紀末にスーラやシニャックが、点を描いていけば絵になるんだと、点描法を生み出したことと同じです。少し形式ばった言い方になりますが、一枚の紙がどうすれば芸術になるのか? という問いに、名坂さんは「円を描けばいい」という答えを出したということなんです。すごいことです。そして、「円」は道具を使っても、使わなくても誰にでも描ける。これは、まさに「具体」に通じていきます。ところで、名坂さんは作品タイトルをつけていませんよね。
名坂 作品番号はつけていたこともありますが、タイトルは、まずつけません。作品ひとつにも、いろんな可能性がたくさんあると思っています。
本江 ただ、名坂さんの作品を買った人は困っちゃいますよね。
名坂 そうなんですよね。ある時、作品を買われる方にタイトルや作品の内容について聞かれた時も、「見られた通りで結構です」と答えました。しかし茨木市の施設に作品が設置されることになった時は、市の方がどうしてもタイトルがないと困るということでしたので、タイトルをつけました。一旦タイトルをつけると、そのように作品が見えてきます。でもそれが気にかかって……。
本江 そういえば《作品》というタイトルがついた作品がありますね。
名坂 田中敦子さんがタイトルに「作品」という言葉を使ってられて、それに倣ったようなものです。小さなものでしたら「ピーシズ〈pieces〉」とか。作品は作品という主張ができていればいいと思うんです。
本江 なるほど。タイトルが無いといっても、何もない空白ではないんですね。
名坂 これからはどうしようかなと思うこともあって、「無限大」や「空間表象」という言葉をタイトルにしてみたりはしてますけど、「無限大」はどこかおこがましいような、大げさな感じもしますし……。
本江 確かに「無限大」は大げさかもしれない。「空間表象」は、大作だといいだろうけど、小さいサイズになるとピッタリくる言葉ではないですね。タイトルをつけるということを考えるのは、言葉選びとかそういったことではなくて、もっと根源的なことなのだと思います。だから、作品技法や材料についていろいろ聞かれるのが嫌いなのでしょうか?
名坂 技法や材料は作家の表現方法で特徴でもあり、そんなことを全部言ってしまうと、生々しくて、面白くない。作品を見ていただければと願うのですが、私の我儘なのでしょうか?
本江 名坂さんにとって「いい作品」とはなんなのでしょう?
名坂 制作していて「これでいける!」という感覚が生まれれば、「いい作品」になります。ダメだったら作品の表面を剥いでしまえ、です。しかし大作を剥ぐのは体力がかなり必要ですから、本当に大変で……。現在ではかなりの数の大作を捨ててしまっています。主人の病気もありましたので、私自身に関する記録もほとんど取っていないんです。
本江 もったいないとは思いますが、日本人はアニミズムの文化の人間なので、案外とポイポイと捨てることができるんですよね。石の文化だとそうはいきませんが。それに、捨てることができるということは、また何かできるということです。だから、いいことでもある。
名坂 76 歳になって、外出もすこしつらい時もあったりで、どうなるのか分からないですけどね。
本江 いえいえ、それは世間の一般論ですよ。何かできますし、何かしなくてはいけない。なぜなら、そうすることで芸術家は報われるのです。個展に向け、制作を再開
本江 1993年で制作を中断されてから久しぶりの個展になりますが、再開のきっかけは?
名坂 私はさまざまな事情で制作を中断したのですが、「具体」の方々は、立派に、個々に、制作、発表をずっと続けているんですよね。だから私も反省をしたんです。
本江 どのような内容になるのか決まっていますか?
名坂 それがまだなんです。新作もそんなに完成していませんし……。さすがに、制作をする心境に入るまでに時間がかかりましたね。
本江 長いブランクですから、いきなり本調子を出すというのは難しいことですよね。(アトリエ内を見まわし)あれっ、でもここにたくさん作品がありますね。(中からひとつを取り上げ)これ、いいじゃないですか。
名坂 今はまだこの程度のものしか出来ませんが、自分ではまだまだかな、いや、ここでストップしてもいいかないしつこく作ってしまうとこもあるので。徐々にですけど、最近は調子が上がって来ている感覚がありますので、制作が楽しくなってきました。
本江 楽しい、ってのは実にいいですね。今日は名坂さんから「楽しい」という言葉をたくさん聞けて良かったです。9月の個展を楽しみにしています。
名坂 昔を再現するような作品を発表しては、みっともないと思っていますし、とにかくやれるだけ頑張ってみます。
(月刊美術9月号2014年に掲載)
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