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日本キネティック・アートの草分け的存在・松田豐のパリ冒険

松田豐

具体美術協会に関して発行された書籍『GUTAI STILL ALIVE 2015 vol.1』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第34回目は後期具体を代表する作家であり、日本人としては数少ないキネティック・アーティストである松田豐をご紹介する。キネティック・アーティストとして有名なヤコブ・アガムとの偶然の出会いに端を発し、フランス・パリの画廊に作品を持ち込むことになった松田。その時の様子をパリ“冒険”に同行していた今田純子氏が語ってくれた。


松田 豐さんの〈偶然〉と〈冒険〉

今田純子(大阪府立現代美術センター元館長)


難波の西、ビルの5階にある100㎡余りの「ギャラリーdo」はこじんまりした展示スペースと広い教室のあるユニークな空間で、オーナーの松田豐さんは美術大学を目指す受験生や若い作家志望から高齢の女性までに現代美術や美術史、美術論を教えながら、ご本人は作家としては日本では数少ないキネティック・アーティストで、いまや日本の現代美術を代表するグループ「具体美術協会」が解散するまで最年少の会員のひとりでもあった。同世代には松谷武判さん(在仏)や堀尾貞治さん、今井祝雄さんがいる。

キネティック・アートは動く、あるいは動くように見えたり、鑑賞者が動くと作品が変化する色彩と美と不思議さを兼ね備えた現代美術のジャンルで、80年代から日本でも海外の巨匠たちが紹介され始めていた。関西ではアガム展(大丸ミュージアム・梅田、1989)とラファエル・ソト展(伊丹市立美術館、1990~1991)が当時続けて開催され、またジャン・ティンゲリーに作品を造らせてその名を冠したレストランが京都四条烏丸上がるにも開かれた。松田さんはその30年近く前から、具体の精神である「誰もつくったことのない作品を造る」の言葉通り、こつこつと元祖日本のキネティック・アートを制作していたのである。

まず、〈偶然〉から入ろう。1992年、生徒の女性が新幹線でたまたまヤコブ・アガム(1928年~)氏と乗り合わせ、先生の作品と同じだと考えて氏に松田さんの話をするとともに教室でこの奇遇を報告した。松田さんは早速アガム氏に連絡、彼も日本のキネティック・アーティストに深い関心を持ち、画廊で講演会をとの松田さんの提案を快諾、30分の訪問にこぎつけた。当日会場は立錐の余地もないほど聴衆で溢れ、小柄な氏と並んで通訳を務めた私は真中に立つはずがどんどん押されて頬を寄せるようになり、話は延々と一時間半におよんだ。なお松田さんの作品に痛く感銘した氏は当時在住のパリへ出てくるよう熱心に誘っていた。

〈冒険〉はこの時始まった。巨匠であり、鑑識眼の鋭いアガム氏のパリで作品を紹介したらとの説得が松田さんの心に火をともしたのだろう。そのあたりはいまや想像でしかないが、早々に作品を数点選択し、パリ在住の具体の盟友松谷武判さんに送る手配をしたのだろう。「パリへ一緒に行ってくれへんか?旅費は持つから」と或る日突然言われた。仕事に追われる日々、久方ぶりの懐かしい古都訪問も心をそそり、旅費は出して貰う理由もないのできっぱり断ったが、結局松田夫妻と共通の友人の4人で出かけることになった。

旅の目的はFIAC(パリ現代美術フェア)の時期に合わせて会場を見学し、ついでアダム氏に教えられたキネティック・アート専門の画廊に作品を扱ってもらう交渉をすることだ。松田さんは航空便からフェアへの足場を考えた宿の手配までぬかりなくしてくださった。翌朝、近くのカフェで朝食をとっているとギャルソンが珍しい東洋人に何しにパリへと尋ねたので「FIAC」へ行くと答えると、彼も「近々行く予定だよ」と毎回楽しみにしているようで、アート・フェアはパリ市民にとって行楽の場なのかと話がはずんだ。

さて会場は数百の画廊がひしめいていて、目的のドニーズ・ルネ画廊(Galerie Denise René)を手分けして探すのが大変。入場者は家族連れも多く、一軒一軒楽しんでいる。やっとルネ画廊にたどりつくと、60代くらいの小柄な婦人がいた。さてこれからだ、とばかりアガム氏の紹介で来たと松田さんを引き合わせようとしたが、忙しいの一点張り。日本から作品を持ってきたのでぜひ見てほしいといっても、フェアが終わるまでは夜も予定がいっぱいと取り付く島もない。ふと作品のヴィデオがあるので10分でもというと、やっと頷いた。ところが次第にからだが椅子から浮き、引き込まれるように顔を近づけていく。あとはさっきの断りなどなかったように「夕方5時半に画廊へ作品をもってきて」といい、「ではあとで」と笑顔で手を差し伸べた。

夕刻、松田さんがブティックや画廊の並ぶ大通りの歩道で作品を街路樹にもたせ掛けて組み立てあげたところにマダム・ルネがやってきて、「遅くなってごめんなさい。どうぞ中へ入って好きなように並べて。電源はこことここ」とまるで昼間と別人のような対応だった。そしてじっと眺めてやがて数点選ぶと店員に「作品を預かるから契約書を持って来て」と指示し、その場で書類も完成した。おまけに「今夜は一軒しかオープニング(vernissage)がないけど行っていらっしゃい」と丁寧に招待状を渡してくれた。

残りの作品を松谷さんのアトリエに預ける手配をした。伺うのは二度目だが彼はパリ市から二つの広いアトリエを貸与されている。国籍に関係なく、認めたアーティストに制作を支援するパリ市の文化の懐の深さにいたく感銘をこの度も受けた。ここでまずは冒険の所期の目的は達成したのである。

翌日からはルーヴル美術館、アガム氏の噴水のあるラ・デファンス地区やポンピドゥー・センターなどをこころも軽く巡った。このセンターのあるレ・アル地区はかつての中央市場の跡地に巨大なガラス張りの美術館兼図書館を建設し、入り口には同じアガム氏作のこの都市改革を計画したポンピドゥー大統領の肖像画が下がっている。近くの教会にはキース・ヘリングがトリプティク(三連祭壇画)に描いた早朝市場へ商品を搬入する昔の労働者の様子が独特の表現で聖画や聖像と並んで飾られている。地域を埋め尽くした観光客に、文化がひとを誘致するのだと確信させられる風景だ。

4年後松田さんはABC絵画・イラストコンクールで大賞を受賞、しかし1998年に早逝されたのがいたく惜しまれる。

(月刊ギャラリー3月号2014年に掲載)

“具体美術協会”の詳しい紹介はこちら »

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