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宝龍美術館そして日本の戦後芸術と「具体美術」を語る

評価され続けているアジアのアート
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評価され続けているアジアのアート

国際的に評価されているアーティストやアジアのアートマーケットに関しての書籍『今、評価され続けているアジアのアート』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第15回目は、白石幸生、許華琳、華雨舟の3名による対談をお届けする。

宝龍美術館そして日本の戦後芸術と「具体美術」を語る─於・宝龍美術館─|美術界の達人に聴く

白石幸生
株式会社ホワイトストーン会長

許華琳
上海宝龍文化執行役員

華雨舟
アートコレクター

近年、戦後アジアの現代美術が世界で注目されるとともに、高い評価を受けている。そうした状況を生んだ背景とその実態はどのようなものか。アート・ディーラーとして、またキュレーターとして、その分野の第一線で活動するお三方に集まっていただいた。

世界のアート市場の起爆剤となるべくアートファンドを立ち上げたホワイトストーンギャラリーの白石幸生会長、日本戦後美術の紹介に意を注ぐ上海の華氏画廊の華雨舟(ファ・ユージョウ)氏、中国と日本美術に造詣の深い上海宝龍美術館の許華琳(シュ・ファーリン)氏に、中国と日本の美術の歩みを振り返るとともに、とりわけ日本の「具体美術」を中心とした戦後芸術、そして世界のアートマーケットの現状とそれへの挑戦の意気込みを大いに語っていただいた。

写真は左から右へ:華雨舟、白石幸生、許華琳

宝龍美術館─現代アジア美術に注ぐ熱い視線

許華林 まず、白石会長が再び宝龍美術館を訪れてくださったことに心から感謝いたします。また、華雨舟氏が白石会長をご紹介くださったことをうれしく思います。美術館をできるだけ深く知っていただくために、白石会長に美術館全体を見ていただきました。私どもの美術館は創設から1年あまりの大変若い美術館ですし、所蔵品を展示したのも今回が初めてです。ご覧いただいた展示でお分かりいただける通り、所蔵品は近・現代の書道作品をはじめ、白石会長と同じ漢字の斉白石、張大千、徐悲鴻、黄冑といった作家の作品です。

この美術館は円形のホールにデザインされていますが、そこに「小さいながらも細やかな作品」を展示したいと考えています。少しずつ、ゆっくりと所蔵品を整えていき、人々に世界中のもっとも優れた芸術品を見てもらいたいと考えていますが、そこにはもちろん、日本の作家の作品も含まれることになります。そういうことで、日本の作家の作品の所蔵を始めました。

昨年から、私たちは伝統的な近・現代作家から蒐集することを計画し、現在の中国の作家、つまり張曉剛といった重要な作家の作品についても次々と所蔵してきました。中国人作家に続いて、私たちは国外の作家の作品を所蔵するべきであると感じ、理念を整え、友人、画廊、芸術関係の諸組織を通して、国外作家についても接触を試みるようになりました。当然、オークション業者を通して状況を知ることも多いです。

戦後の芸術、あるいは日本の作家は大きな芸術の潮流です。そこには継続性があり、悠久の歴史があります。そこで私たちはそれを学び、最も気に入った作家を探すことにしました。そうした過程で、私たちは中国以外の海外の芸術作品については、まず東洋の作家から蒐集するべきであることを感じました。中でも重要なのが日本です。日本は当然のことながら東洋の芸術体系を代表し得る存在です。私たちは草間彌生、奈良美智などの作品を所蔵しました。なにより、こうした絵画はその画面、表現の面で人を強くひきつけます。また、東洋の特徴を持つばかりでなく、その作品には国際的な要素に満ちています。私たちの所蔵は始まったばかりであり、今後、日本の重要な作家の作品をさらに多く所蔵して行きたいと考えています。

白石会長が私たちの所蔵品にご注目くださり、評価してくださったことに感謝いたします。宝龍美術館は「伝統的文化の精髄を発揚させ、現代芸術の発展を推進する」との理念のもとに創設されました。美術館発展のため、また社会的に美術教育の責任を果たすためにも、所蔵においてはその脈絡、次元をしっかりと考え、取捨選択をしなければなりません。

「書蔵棟コレクション展」は、様々な視点を通して、近現代から現在までの優れた作品を分かりやすく整理された状態で見ていただけるようになっています。これからも連綿と続いて行く芸術の発展の中で、今回の展示が少しでも役立つものであることを願っています。

白石会長は、草間彌生、奈良美智、田中敦子といった日本の作家の所蔵品にとりわけ深い印象を持たれたのではないでしょうか。第二次世界大戦の後、日本の社会には焦りと失望がうずまいていました。軍国主義的な考え方が消え去るとともに、多くの作家はその創作の中で「独立性」「自主性」を強く希求するようになり、その結果、西洋芸術に対する盲目的な崇拝も拒否されました。そうした歴史的な背景の下で、日本には革新的な意識を持つ芸術家たちが次々と生まれました。

日本の代表的な流派である「具体美術」はそうした背景の中で生まれたのです。水玉の女王・草間彌生は、「自我」を余すところなく表現する存在です。草間彌生は若い頃に米国に滞在していたことがあり、そこから自分の「前衛的」な模索の道を歩み始め、自分の流派を築き上げました。日本の戦後の芸術家は注目に値し、掘り下げてみる価値は高いと思います。彼らはすでに一種の文化的現象となり、研究の方向の一つとなっているのです。

華雨舟 白石会長は50年もの間、芸術業界での経験をお持ちです。会長は20歳前後の頃には芸術関係の仕事に携わりたいと考えておられたということです。当時、芸術の中心はヨーロッパ、とりわけフランスのパリにあり、会長は印象派、エコール・ド・パリといったヨーロッパで主流の絵画を日本に紹介されました。その過程を通じて日本の芸術を深く理解し、掘り下げる必要をお感じになられたのでしょうか。

中国伝統芸術の日本への多大な影響

白石 当時私は、ヨーロッパの絵画を主に扱っておりましたが、自国の美術もより深く学びたいと思っていました。そしてそれを学ぶ中で、日本の文化が長い年月のなかで中国文化の影響を受けてきたことをつくづくと感じるようになりました。

先ほど華雨舟さんにご説明いただきながら、宝龍美術館を見学させていただきました。広大な敷地の美術館にお爺さまの代から蒐集している水墨画のコレクションをはじめ、その他にも中国美術を代表する画家の所蔵品を目にすることができました

たとえば斉白石の水墨画の作品です。私は「白石」という姓で、日本でも斉白石の作品は数多く見てきましたので。日本人も同じように斉白石のように表現する自然や人物、静物画家がいると思っておりました。いま思いおこすと、日本人の作家の多くは、斉白石や中国水墨画の巨匠の手法から大いに影響を受けていたような感じがします。そうした流れのなかから、浮世絵をはじめ日本芸術は島国独自の文化を発展させてきましたが、実はその多くは中国本土から流れ、70パーセント以上の文化は、中国から朝鮮半島を通って日本全体に伝わってきていると言われています。

そう意識したとき、私は非常に大きな衝撃を受けました。この地球上には悠久の歴史、独特の文化を持つ国がありますが、中国と日本との間には切っても切れぬ関係、整理しようにもなかなか整理しきれない関係があります。しかし、長い年月をかけて最終的に私たちの間には、互いに相手を認め合う関係が存在することが分かりました。

これは、歴史や文化が私たちに遺してくれた貴重な遺産であり、日中友好の架け橋になっていると強く感じます。ずいぶん前のことですが、日本の著名な芸術家である平山郁夫先生と日中文化交流の行事の際に中国に滞在することが幾度となくありました。先生は中国での講演を通じ、ご自身も中国文化においてたくさん学ぶことがあるとおっしゃっていたのを覚えています。

日本の戦後の芸術、つまり日本の現在の芸術ですが、これは主に、やはり第二次大戦以降のヨーロッパに由来して形成された文化体系です。しかし、更に長いスパンで見た場合、日本が文化の面で最も大きな影響を受けたのはやはり中国だということを忘れることはできません。中国の文化は私たちに極めて大きな影響を与え、一種の潜在的な力となっています。草間彌生にしても、奈良美智にしても、そして現在大活躍している小松美羽にしても、今後、仕事の面での重心は、中国に置くことになるのではないかと思います。

そして、ホワイトストーンギャラリーでも、草間彌生と日本の「具体美術」の優れた作品を持ってきて、中国で展示をすることになるでしょう。もう一つ、日中両国の文化交流を深めることを前回宝龍美術館に来た後に思いつきました。当時私は、中国に観光に来る日本の人たちに、上海の宝龍美術館に足を運ぶように勧めたいと思いました。

華雨舟 白石会長が宝龍美術館を認め、高く評価くださっていることを知り、大変うれしく思います。日本の「具体美術」は第二次世界大戦終結の十年ほど後、日本の経済成長が始まった頃の一九五四年に、吉原治良によって誕生しました。その発展の過程について白石会長、ご説明いただけますか。

具体系の作家の作品が散見される宝龍美術館の展示会場

戦後日本美術の先駆〈具体美術協会〉を巡って

白石 1945年の敗戦の後、日本は荒れ果てていました。私たちはそれを見て戦争の誤りを悟り、自分たちの国の再建を始めました。そのときから日本は、当時の国際社会の中で、自分たちに適する生存方法を模索し始めたのです。軍国主義から民主主義へという社会の変化を経て、美術には自由と平和の風が吹き込まれました。また、日本の絵画は「発明、構想、創新」へと180度転換し、オリジナルな芸術作品を追い求めるようになりました。その先駆者が具体派美術協会の創始者であった吉原治良でした。「他者をまねるのでなく、誰も創らなかったものを創る」とのモットーの下、白髪一雄は公園の一角で泥との闘いを繰り広げ、田中敦子は電球の「電気服」を着て世界に二つとないパフォーマンスをして見せました。

具体美術協会は1952年から吉原治良が亡くなった1972年までの間、米国、パリ、イタリア、ドイツなど世界各国の美術館や画廊で展覧会を行いました。当時創作された作品は現地のコレクターを通してニューヨーク近代美術館やフランスのポンピドーセンターといった世界各地の美術館に収蔵されています。私はそれについて、一種感謝の気持ちを抱いています。そしてまた、宝龍美術館で具体の収蔵作品を見ることができて、私は大変心を動かされました。

華雨舟 現在、西側のコレクターや中国のコレクターは「具体美術」「もの派」といった日本の戦後の作家の作品に非常に注目しています。その要因は何なのでしょうか。

白石 めざましい経済発展を遂げたドイツとイタリアは戦後の芸術に目を向け、戦後美術に対する再評価を始めました。最初は「グループZERO」のハインツ・マック(Heinz Mack)、オットー・ピーネ(Otto Piene)、ルチオ・フォンタナ(Lucio Fontana)、イヴ・クライン(Yves Klein)といったヨーロッパの芸術家の作品が画廊やオークションで高値で売れるようになり、日本の戦後芸術も次第に注目されるようになりました。

具体派美術協会の知名度と市場は、2013年にニューヨークのグッゲンハイム美術館で行われたGutai:Sprendid Playground(具体:素晴らしい遊び場所)により高まり、注目されるようになりました。この展覧会は具体美術再評価にとって非常に重要な展覧会となりました。しかし、現在、日本の戦後美術の価値は米国の百分の一、ヨーロッパの十分の一にすぎません。敗戦国であるドイツとイタリアと日本の戦後芸術は根本的思想は同様なのですから、日本の戦後芸術の再評価、市場拡大の可能性は大変大きいはずです。

こうした機会を得たわけですから、日本の戦後芸術と世界の芸術の関係を簡単に整理してみたいと思います。先ほど申し上げたように、私が最初に手がけたのは印象派やエコール・ド・パリ等でした。10年間それに携わりました。その後の20年間、日本画作家の紹介に力を入れました。

当時、ニューヨークでアーモリー・ショーへの参加にあたり、私は日本国内で需要のあった横山大観や東山魁夷などの日本画壇の作品でアートフェアに参加したいと思い、主催者側に掛け合っておりました。しかし、主催者からは米国で注目度の高い作家、「具体」の作家を持ってきてほしいと逆に頼まれたのです。そこで初めて、ニューヨークや世界のマーケットは具体に注目していることに気づかされ、フェアでは白髪一雄、田中敦子、嶋本昭三、元永定正の四人の作品を日本から持っていきました。

驚くことに、会場では現地の美術館のキュレーターや世界各地のコレクターがこぞって我々のブースに来て、作家の資料を求めてきました。実際、ここまで反響があるとは思いもせず、さらに現代アートの中心であるニューヨークで具体美術に対する理解があったということに感動を覚えました。こうして私は当時最大のコレクターと知り合いになり、自分が具体美術を通して初めて欧米のコレクターと良好な関係を築けたことを感じたのでした。

米国には大変有名なジャクソン・ポロックという画家がいましたが、残念なことに早くに亡くなってしまいました。関係者がポロックのアトリエを整理したところ、アトリエの隅から具体美術協会の機関誌がたくさん見つかりました。それにより、ポロックのインスピレーション源に日本の「具体美術」があったことを知ったのです。それが当時米国の芸術界に大きな刺激、衝撃を与えたことは言うまでもありません。

さらにその後、ポロックが生前に自身の作品について、ドリッピングの技法で大量の絵具を使い、躍動感を出しているのは、日本の「具象」の作家も数年前からやっていたことをメディアで紹介していたことがわかりました。またポロックの画風にみられる一見均質に見える多焦点的な抽象表現絵画、オールオーヴァーの画風は、白髪一雄や他の具体作家に多大な影響を与えていきました。

具体系の作家の作品が散見される宝龍美術館の展示会場

学ぶ美術から個々のオリジナリティへの変貌

白石 日本は第二次世界大戦の敗戦国であり、広島と長崎に原爆が投下され国中が荒廃しました。すべての具体作家たちは戦争を経験し、敗戦後の日本の復興に不可欠なのは自由と平和であると身をもって感じました。そしてアートもそうあるべきと、具体のリーダー吉原治良から創作スピリットを学びます。

それまではご存じのとおり、日本も中国も芸術は先生や師匠から学ぶものでしたが、社会が大きく変化した戦後のアートは、オリジナリティに溢れる芸術作品へと変貌を遂げるようになりました。たとえば吉原治良は具体作家の展覧会を、画廊でも美術館でもなく、野外(公園)で展示を行いました。それは「人の真似をするな、今までにないものを創れ」と、具体の精神に基づくものです。元永定正のビンの中に色のついた水をいっぱい注いで、「水の彫刻」を制作し、白髪一雄は公園で泥と格闘しながら体を使う作品を創りあげました。これは世界的にみても極めて前衛的で先鋭的な活動だったと、フランスの批評家であり、「アンフォルメル」の提唱者、ミシェル・タピエは言いました。

もう一つ物語があります。当時、嶋本昭三が創作した多くの作品を吉原治良は否定し、すこしも良くないと言いました。嶋本昭三もこれには成すすべもありませんでした。ある朝、嶋本は新聞紙をぬれた手で触って穴があいたのを見て、「これはきっと世界で初めて起こったことだと感じ、吉原に見せたところ、「これは誠に初めてだ」と返ってきて大いに賞賛し、これが彼の第一作となりました。

イタリアのルチオ・フォンタナもキャンバスの中央に切り目を入れただけの「空間概念(Concetto spaziale)」を創作し始めました。しかし嶋本が使った新聞紙の日付を見ると、嶋本の作品の方が先に制作されていたのです。当時、嶋本はキャンバスを買う金がなく、新聞紙を重ねてキャンバス代わりにしていましたので、日付が正確でした。その後、だれが先にこの方法で創作をはじめたかについて言い分が分かれ、さらには芸術の分野で国際的に関心を集めることとなりました。

華雨舟 ホワイトストーンギャラリーが、最初に国外に進出したときの様子はどのようだったのでしょうか。

白石 私たちの画廊が最初に展覧会を催したのはモスクワでした。その後、私は日本の現代芸術を持って行き、モスクワの国立美術館で展覧会を開きました。当時モスクワには、世界の芸術とのつながりを試みようとする芸術的創作があったのです。それが私にとって、日本を離れて最初に触れた世界でした。

米国に行くと、米国には1950年代の習慣が続いていて、主に日本の近代絵画との交流を深めたいとの願いがありました。その更に後になって、彼らは「具体美術」に対する強い崇拝を開始したわけです。こうした芸術の面での交流を通して、私は、政治上の対立は戦争を引き起こすけれど、芸術上の競争はお互いに行き来し、伝承する関係であることを感じました。ですから私は、芸術に国境はなく、互いに交流できるものであると感じています。

日本について言えば、私が理解している戦後の芸術とは、敗戦国の廃墟の中で社会を整え直し、芸術を通じ世界に対して改めて発信した一種新しい理念だと思います。敗戦を通して、私たちは平和の大切さを知り、芸術に対する追求を明確にし、すべての芸術を国際性に満ちたものとし、世界が平和と自由に満ちたものとなるようになりました。

世界市場への起爆剤としてのアートファンド創設

華雨舟 白石会長が芸術の世界に従事するようになって五○年が過ぎました。会長は何をお遺しになりたいのか、直接的に表現しますと、愛と平和に満ちた、世界共通の芸術をお遺しになりたいということだと思います。そのために会は確かにたゆまず努力をなさっています。新しい体系を立上げ、日本にアート・ファンドを成立させ、この基金を通して、戦後芸術全体を全世界に向けて広めようとされておられるのです。

白石 そうです。新しく立ち上げるアートファンドは今、世界で評価されているアジア戦後美術を中心に組む予定です。1号ファンドは具体美術、草間彌生を中心とする日本戦後美術、そして2号、3号ファンドはアジア全体の戦後美術作家も取り入れていきたいと思い、早ければ数年で投資効果が現れることを期待しています。

例えば、日本やアジアの美術作品の価値が十倍になれば、その作家の評価も大きく変わってきます。先ほども話にあったフォンタナや戦後のドイツ作家と日本の戦後美術作家の価格には、十倍ほどの差があります。そしてポロックやアメリカの抽象表現的主義の作家と比べるとその差は百倍に上ります。このアートファンドが現代のアート市場への刺激を与え、世界で評価され始めた日本人、アジア人作家の作品がさらなる評価を博し、世界で確固たる地位を築くための起爆剤となることを信じています。

これまでの十年、華さんは上海で一貫して日本の戦後芸術を紹介し続けてくださいました。大変有難うございます。華さんはどのようにして日本の芸術と出会ったのでしょう。教えていただけますか。

華雨舟 私は学生時代に日本に留学し、美術史を学びました。日本の文化や経済発展には非常に敏感で、常に芸術の分野で、日中の友好的な交流を促進するにはどうしたら良いかと真剣に考えています。昨年11月、宝龍美術館の華氏画廊で、具体美術協会第二世代の前川強氏の個展が行われ、期間中に多くの作品が宝龍美術館を含めた上海のコレクターによって収蔵されることとなりました。

第二次世界大戦が終わってすでに70年を経て、世界の芸術市場では戦後芸術について改めて評価が下されます。白石会長は戦後芸術について具体的にどのような再評価を希望されておられますか。

白石 ホワイトストーンギャラリーは世界各地の芸術活動の中で、日本の戦後と具体美術の普及を試み、これを紹介しています。オークションや美術館との連携を通して、今後更にこの流派の市場の拡大に努めていきたいと考えています。2010年から、具体美術や草間彌生に対する評価はどんどん高まっています。

近年、特に私の記憶に残っているのは、サザビーズ パリで白髪一雄の60年代の作品が一千万ドルを越える高値で落札されたことです。このほか草間彌生の作品が香港のオークションの表紙を飾ったことも、市場が日本の芸術家に注目していることの証しでしょう。今年、日本の戦後芸術の作家の作品が、アート・ファンドに組み入れられることになっていますが、これによって市場は更に活発なものとなるのではないでしょうか。

華雨舟 芸術は国にとって重要な産業です。国の歴史や文化を尊重すると同時に、新しい芸術を追究する必要があります。白石会長は日本と中国の芸術市場の将来をどのように考えていらっしゃいますか。また、技術市場を振興させるためには何が必要でしょうか。

白石 芸術市場の活況のためには、画廊、美術館、オークション業界、アート・ファンドの間の協力が非常に大切です。特に国際都市香港の画廊は、市場の動きを非常に強く感じるところです。また市場の活性化といえば、日本では2020年にオリンピック大会が開催されることになっており、わたくしたちホワイトストーンの軽井沢の美術館で、一連の芸術イベントを計画しており、只今、その準備を進めています。世界各地から人々が日本へやって来るわけですから、私たちギャラリーも日本の作家や海外の作家を積極的に紹介していきたいと思います。

芸術に国境はありません。国内外の観光客、ふだんは芸術に触れる機会があまりない愛好家にも、こうしたイベントを通じて芸術の力を感じていただくことができれば、それは私たちにとって最大の喜びです。

華雨舟 現在、世界の芸術市場では米国が42パーセント、中国が21パーセントを占めて、ヨーロッパの市場シェアを越えています。中国は世界第二の芸術的動力となっているわけです。中国で、オークションで一流の作品が買い戻され、本国の芸術品に対する評価が高まるのを目にすることができます。同時に、別の国の文化に対する理解を深めるため、中国人コレクターはまた西洋の現代芸術や日本の芸術を積極的に所蔵しています。こうした現象をどうお考えですか。

許華林 ここ2年ほど「芸術品の回流」が確かに文化的な現象として起きています。第二次世界大戦後、世界の一体化、多元化が進み、日本では西洋文化との交流・融合が加速化しました。芸術家は伝統文化に対する探求を始め、それをベースとして西洋の現代の潮流の精髄を汲み取り、まったく新しいボキャブラリーの作品を創造するようになりました。中国では文化事業が重視されるようになり、美術館事業が振興しましたが、それがいずれもある程度において「芸術品の回流」を後押しすることになっています。

そして、美術館の創始者が、次々と美術館の所蔵品を公開展示しています。それは、多くの芸術愛好家にとって大変有難いことです。こうした動きはまた、私たちが別の国の芸術作品に目を向けるきっかけともなっています。中国の芸術事業の発展を助ける力の一つとして、私たちが自分たちの力で中国のために芸術の宝をより多く残していこうとするのは当然のことです。

華雨舟 先ほどから日本の「具体美術」や戦後美術についてたくさんお話ししてきました。そこで、許華林さんに宝龍美術館のこうした面での計画について特に伺いたいと思います。大変期待しているのですが、いかがでしょう。

許華林 先ほどからのお話で、私も大変多くのことを感じました。白石会長は、人生経験が大変豊富でいらっしゃいますし、この50年の間に経験されてこられた芸術の歴史や、お知り合いの芸術家を大変大切になさっていらっしゃいます。美術館として、私たちは2018年に韓国の三星美術館、韓国の国立美術館と協力して「韓国の抽象芸術:金煥基と単色画」を開催しました。開幕したばかりの「西洋絵画500年」は、東京の富士美術館との協力による展覧会です。私は更に多くの優れた芸術機構と協力できることを願っています。

その中にはもちろん白石会長のギャラリーが含まれます。展示に値する重要な作品が数多くあるほか、新鋭の作家も多く、私は私たちの宝龍美術館を通して、中国の人々にすばらしい展示をより多く提供したいと考えています。ですから、今日は華先生と白石会長にここに集っていただき、このようにしてお話しする機会が持てたことにたいへん感謝しています。

白石 芸術は皆が絶えず学んでいくものだと思います。お二人の話を伺っていると、多くのすばらしい友人がいて、多くのすばらしい芸術機構があり、宝龍美術館にはそうした方々と協力する機会があるわけですから、私たちは今後ますますよい方向に向かえるということだと思います。ありがとうございました。

書籍情報
書籍名:今、評価され続けているアジアのアート
発行:軽井沢ニューアートミュージアム
発売 : ‎ 実業之日本社
発売日 ‏ : ‎ 2019年8月6日

※本記事に掲載されている情報は発行当時のものです。現在の状況とは異なる場合があります。

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