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自然と人のつながりを原点に:ファン・ユーシン

評価され続けているアジアのアート
18/23

『ファン・ユーシン: 黄金の王国』ホワイトストーンギャラリー台北, 2018

国際的に評価されているアーティストやアジアのアートマーケットに関しての書籍『今、評価され続けているアジアのアート』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第18回目は、アーティストのファン・ユーシンと、美術評論家の本江邦夫の対談をお届けする。

自然と人のつながりを原点に|美術界の達人に聴く

ファン・ユーシン(黄宇興)
アーティスト

本江邦夫
多摩美術大学名誉教授 美術評論家

北京を拠点に活躍する気鋭の画家ファン・ユーシン。中国の名門、中央美術学院を卒業後にデビューし、現在は国際的に活躍しているアーティストだ。観るものに強い印象を残す色彩と構図。そして、東洋と西洋の自然観、生命観に対する画家独自の解釈が込められた作品からは、生命のエネルギーが強烈に伝わってくる。日本における初個展の会場を本江が訪ねた。

写真左から本江邦夫、作家ファン・ユーシン

青春期、周囲の無理解との葛藤

本江 初めまして。今回、ファン・ユーシンさんの作品をこちらのギャラリーで初めて拝見しました。日本での初個展とのことですが、第一印象は「繊細巧緻」。画面作りがとても現代的で、たとえばピーター・ドイグ1の作品のような、「新しい絵画」に触れた感じがしました。

そして、これはあくまでも私見ですが、日本の現代美術家たちに似たフィーリングや精神性もある。さらに言えば、ある種の「死生観」も絵に埋め込まれている。それはなぜなのか? 色々伺えればと思います。よろしくお願いします。早速ですが、美術家になるまでのプロフィールを教えていただけますか?

ユーシン 私は1975年に北京で生まれました。父は政府が運営する科学調査センターの職員、母はコンピューター関連の施設で働いていて、芸術とはまったく無縁な家庭で育ちました。内向的だったのでしょうね。幼稚園の頃からひとりで絵を描くのが好きで、周囲の子供と遊ぶのはあまり好きではありませんでした。「もう幼稚園を辞めたい」と母親に訴えたくらい…。

本江 一人っ子政策の影響がありますか?

ユーシン 実は6歳年上の姉が一人いるんです。私の時代は条件が整えば、子どもをもう一人作ることができました。

本江 1975年というと、40年以上前ですね。その間、中国も大きく経済発展を遂げましたし、北京も随分変わったのではないでしょうか。

ユーシン その頃の街の面影は今はどこにもありません。建物も何もかも変わってしまったので、まるで別世界のようですし、とても寂しいですね。

本江 美術の成績は良かったほうですか?

ユーシン 小・中学校でも絵ばかり描いていたのですが、美術の先生からは「君の絵は良くない」といつも言われていました。自分ではその頃からユニークな絵を描いていたつもりだったのですが、両親は美術の道に進むとは想像していなかったようです。私が描いた風景画を内緒で専門家にみせたりしていたようですが、やはり酷評されたようです。これは後から聞いた話ですけれど。

本江 絵の道に進もうと決めたのはいつ頃ですか。

ユーシン 中学生のときです。ただ、学校の先生には「絵の才能はない」と言われていましたし、そもそも、当時の中国は家系を大事にする習わしが強く、「父親が有名な画家でないかぎり、成功はできない」とまで言われていたのです。それ以前に、コンテンポラリー・アートを理解する先生もいませんでした。

本江 そんなファンさんが、中国で最も権威のある美大、中央美術学院に進学されたのはとても不思議に思えますが…。

ユーシン 実はすんなりと進学できたわけではありませんでした。中国でも美術大学に進学するためには、石膏デッサンなどを繰り返しやって、写実的に表現できる訓練をしなくてはならないわけですが、自分のイマジネーションを基にした絵を描こうとしていた私にとって、それは苦痛以外の何物でもありませんでした。

本江 予備校のようなところへ通われたわけですね。

ユーシン 美術の基礎を学ぶための専門学校です。母の勧めでしたが、美大に入学するためのテクニックを学ぶ授業はとても苦痛でした。

本江 専門学校ではまじめに勉強したのですか?

ユーシン いいえ。やはり先生の言うことを聞かずに、激怒されました。皆の前で「こいつには才能が全くない」なんてこと言われたりしたので、すっかり嫌になって、サボっていましたね。母親にはウソをついて…。そんな調子ですから、初めはうまくいきませんでした。

受験に失敗したら普通の大学を受ける約束でしたが、仮病を使って試験を受けなかったり…。しばらく落ち込みましたが、アートにしか興味がありませんでしたので、もう一度専門学校にもどって、クラスで一番になるようにまじめに勉強をやりなおして、いちど工芸の学校を経由してから中央美術学院に進学したのです。

《The Lake of Barking Infants》2019, 40.0×30.0cm, パネル・カンバス・アクリル

東洋特有の自然観、生命観の追求

本江 大学を卒業してからは?

ユーシン しばらくは無職で収入もありませんでした。両親は二人とも政府の機関で働いていましたので、そのコネクションを使ってきちんとした収入のある仕事を見つけてくれようとしました。軍隊への入隊を勧められたり、美術館での事務仕事を紹介してくれたり…。でも、どちらもやりたくなかった。

本江 とても頑固だったのですね(笑)。

ユーシン そうですね。でも、そのうち両親も考えを変えてくれて、「もし本気で有名な画家になりたいならフランスに行け」と。それで一年間、フランス語の勉強をしたのですが、結局ビザの申請をもらえず、フランス留学も失敗してしまいました。

本江 なかなか画家としての道が見えなかったのですね。それからどうしたのですか?

ユーシン 始めはギャラリーではなく、お金を借りて個人でアートフェアに申し込んで作品を発表しました。それが二〇〇二年。北京から三時間かけて電車で作品を運びました。自費でしたので作品が売れてホッとしたのを覚えています。

本江 すぐに反響があったのでしょうか?

ユーシン そのアートフェアを見たバンコクのタン・コンテンポラリー・アート・センターと北京のソカ・アート・センターから声がかかり、二〇〇三年に個展を開きました。それが初めての個展です。

本江 なるほど、それからはかなり早く展開したのですね。以来、上海、台湾、フランス、オランダといった場所で個展やグループ展をされ、クリスティーズでも作品が扱われるようになり、今回日本で初めての個展が実現した。ところで、今回の展示されているこれらの作品には、どういった思いが込められているのでしょうか。

ユーシン そうですね、最も意識したのは「東洋の文化をいかに表現するか」でした。私の仕事には、川や森のシリーズ、そしてダイヤモンドなどの鉱石を描くシリーズがあるのですが、すべて「自然と人間とのつながり」がテーマになっています。

本江 なるほど。その辺りが日本の現代作家との共通点かもしれませんね。東洋と西洋の自然観に違いはあると思いますか?

ユーシン 西洋の文化は、人間が自然の上に立っている。立場的には人間がマスター(支配者)なのです。一方、東洋の文化は、人間が自然に仕える立場にある。それは大きな違いだと思いますし、私は一貫して、この東洋特有の自然観を大事に制作してきたのです。

《The Collector Who Hugs a Sculpture》2018, 40.0 30.0cm, パネル・カンバス・アクリル

対極ではなく同じ輪のなかに循環するものをいかに表すか

本江 とても興味深いですね。最後に作品に関してもう少しお聞きしたいと思います。どのようなプロセスで制作がなされるのか。初めにコンセプトをしっかりと決めてから描き始めるのでしょうか?

ユーシン そんなことはありません。初めは何も考えずにスケッチをします。キャンバスに絵を起こす時も、ざっくりとした方向性はありますが、少しずつ色を重ねたり、描き込んでいきながら、徐々にコンセプトが明確になっていく感じです。タイトルに関しても、あまり限定せずに、観る人がイメージを膨らませてくれるようなものにしたいと考えています。

本江 なるほど、描きながら絵を成長させていくわけですね。今回の個展をじっくり拝見して強く感じたのは、やはり「死」のイメージでした。しかし、ユーシンさんが使う色はとてもカラフルですね。ネオンカラーを用いたりして。とても不思議に感じたのですが。

ユーシン 死というと、一般的には黒とかダーク・カラーのイメージがあると思いますが、私はあえて明るい色を使って死を表現したいと考えています。私が、アートを通じて伝えたいことのひとつは物事の二面性です。善と悪、生と死、平和と戦争、自然と人間…。一見、正反対に見えるものというのは、別々に存在するわけではなくて、繋がっている。それらは一つの輪の中にあって、循環していると考えていて、それをいかに表現するかが私のテーマなのです。

本江 なるほど、死を明るい色で表現するのも、そうした思想に由来するわけですね。人間が自然に仕えるという東洋の自然観、そして一見真逆に見える物事の二面性など、今日はユーシンさんにたくさんのことを教わることができて、幸いでした。今後、日本でも活躍されることを願っています。有難うございました。

ユーシン こちらこそ有難うございました。また、いつかお会いできるのを楽しみにしています。

 

書籍情報
書籍名:今、評価され続けているアジアのアート
発行:軽井沢ニューアートミュージアム
発売 : ‎ 実業之日本社
発売日 ‏ : ‎ 2019年8月6日

※本記事に掲載されている情報は発行当時のものです。現在の状況とは異なる場合があります。


11958年スコットランド生まれ。幼少期をトリニダード・トバゴ、カナダで過ごし、後にロンドンで美術を学ぶ。ニューペインティングの流れを受け継ぐ、90年代以後の「新しい具象」絵画の画家として知られる。93年ジョン・ムアーズ絵画賞受賞。94年ターナー賞にノミネート。

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