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見えないものを描く─二川和之の美宇宙

評価され続けているアジアのアート
10/23

二川和之 作品

国際的に評価されているアーティストやアジアのアートマーケットに関しての書籍『今、評価され続けているアジアのアート』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第10回目は二川和之をご紹介する。

見えないものを描く─二川和之の美宇宙

乃上咲名江
筑波大学博士特別研究員 学芸評論家

夜明け前

われわれが旅で出会うのは、変化する風景だ。いま、ここにしかない刹那的な風景だ。しかしそれは、記憶という闇に紛れて忘れ去ってしまう。その地平を呼び戻してくれるのが、二川和之の描く風景だ。一過性の体験でしかない旅の記憶の時間と空間を越え、普遍なるものに与ることができるのは、彼に依る無際限のスケッチの積み重ねが、予め与えられているからだ。毎年のように訪れる推定樹齢三千年以上といわれる縄文杉をはじめとした巨樹を有する屋久島の湿った土を踏み、奥深く分け入り森に身を委ね、一つに溶け合って、その空間を統一した全体として受け止める彼の経験こそが、見る者に既視感を与える。世界を目に映るものとして写し取ったのではなく、われわれの記憶を想起(アクチュアルな記憶としてではなく、欠如を満たしたものとしての記憶)させ、応答する。われわれは、彼によってつくられた記憶に迷い込んでいるのだ。

作家:二川和之

野生の風景

樹木は古くから信仰の象徴的意味として、霊的な力が宿るとされてきた。『日本書紀』巻第二の〈第六〉一書には、「葦原中国は、磐根・木株・草葉も、猶能く言語ふ」と記されている(『日本書紀(一)』岩波文庫、一九九四年、一五四頁)。自然の生命力が溢れるように、木も草もよく喋るのだ。アニミズム的自然観では、岩、木、滝のみならず熊、鹿など動物に至るまで、あらゆるものにカミ、あるいは精霊を認めた。山水に霊性をみる感性は、古くから日本の信仰の素地を為すものであった。それは、自然美に対する開眼の契機を与えてくれる。彼の作品の多くには、その霊性を美的観照として究める強い意志を見て取ることができる。つまり、非西洋的な視座を根拠とするものの見方が息づいているのだ。古木を包み込む苔、あるいは立木から張り出した根に蔽われた地表面の肌理の粗密。これらは、直感的でありながら空気の精気を含んだ遠近感を兼ね備えている。その奥行の豊かさは、見る者を高い官能的静謐の世界に迷い込ませる。水脈へ届かんとする木は大地の外に内に縦横に根を広げ、見上げれば、ざわめく葉と呼応する枝は、翠嵐を織りなしている。このような自然と人間との汎神論的関係性は、これまで誰も気に留めなかった「空間の文脈」を彼が描くことで、はじめてその意味が開示された。生命の絶対的不安定さから逃れることのできない人間の生と死の制約すら超越した自然への求愛的憧憬を彼は絵筆に託したのだ。官能と品格の際どい調和と、なまめかしくも一種独特の孤高に帰依する物言わぬ風景への揺るぎない信念のもと成立しているのが彼の作品なのである。

確かに、マルセル・デュシャンを境として美のパラダイムシフトは起きた。しかし、バウムガルテンのいうところの「感性的認識」まで否定されたわけではないだろう。ミメーシスを越え感性として表現された屋久島は、すぐれて彼の描写力に依るところが大きい。深く刻まれた表面の皺、ごつごつとして波打つ幹、突然現れる空洞は、生命そのものだ。その枝はそこになければならず、装飾ではなく必然なのだ。その意味で、明確な美の規範を失い、迷走し、作品の独自性に価値を置くポストモダンの多元性とは一線を画している。

二川和之 「碧樹」 112.0×162.0㎝ 2008年

大胆かつ繊細な筆致

彼の圧倒的な描写力の前に、われわれは、屋久島の自然をさ迷っているような錯覚を覚えるだろう。デッサンは正確であればあるほど写真に近づくのだろうか。そうではあるまい。表面的な比較において認められるその類似性は、岩絵の具と和筆を感性に委ね、地塗りした和紙にわが手を下ろすとき、明らかに写真とは異なるものになる。複数枚のデッサンのもと再構成された画面に近づけば、粗い岩絵の具の質感の息遣いが聞こえてくるはずだ。そこでは、木であれ、草であれ、水であれ、生きとし生けるものすべてが自由に踊り出す。

大胆でありながら繊細な筆遣いで描き熾される彼の絵には三つの特徴がある。一つは、彼の思惟としての風景観である。それは太古の営みから受け継がれてきた普遍ともいえる自然観として「あるがままに」への憧憬である。第二に、神々は細部に宿ることを追求した一切の妥協を許さない信念である。第三にその信念に貫かれた自然はいかなるときでも光と空気に満ち満ちていることである。ここで急いで付け加えておかなければならないのは、彼の描く光は、陰翳礼讃にその価値を見出しているということだ。イカロスの翼は太陽の光に焼かれて地上に落ちた。強烈な光は人を盲目にする。彼の描く光は空気に溶けどこまでも柔らかく慈愛に溢れ、われわれを包み込む。

自然への憧憬や風景へのリアリスティックな観察能力だけから風景画は生まれない。視覚は、対象物を認識することに向けられ、それを囲む空間や漂う大気の湿潤さまで写し取ってはいないのだ。「見えないものを描く」ことを自らに課した二川は、その類まれな技術を駆使しつつ封印するというアクロバティックな仕方で、空間の解放を為しえたのだ。

乃上咲名江(のがみ さなえ)

香川県出身。武蔵野音楽大学卒業。筑波大学大学院教育研究科修士。同人文社会科学研究科修士。同哲学・思想専攻博士。同文学博士。専門領域は、倫理学、ケアの倫理,家庭教育学。日本家庭教育学学会副理事長。家庭教育支援協会理事長。家庭教育師。家庭教育アドバイザー。筑波大学博士特別研究員。学芸評論家。主なる論文「筑波大学哲学・思想論叢集」「家庭教育研究」他多数。

書籍情報
書籍名:今、評価され続けているアジアのアート
発行:軽井沢ニューアートミュージアム
発売 : ‎ 実業之日本社
発売日 ‏ : ‎ 2019年8月6日

※本記事に掲載されている情報は発行当時のものです。現在の状況とは異なる場合があります。

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