ARTICLES
世界中に私を鼓舞するカルチャーがある:ロナルド・ヴェンチューラ
評価され続けているアジアのアート
17/23
『ロナルド・ヴェンチューラ: Comic Lives』ホワイトストーン銀座新館, 2018
国際的に評価されているアーティストやアジアのアートマーケットに関しての書籍『今、評価され続けているアジアのアート』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第17回目はアーティストのロナルド・ヴェンチューラと、美術評論家の本江邦夫の対談をお届けする。
世界中に私を鼓舞するカルチャーがある|美術界の達人に聴く
ロナルド・ヴェンチューラ
アーティスト
本江邦夫
多摩美術大学名誉教授 美術評論家
フィリピンの現代美術家、ロナルド・ヴェンチューラ(Ronald ventura)は東南アジア全域で最も高い評価を受けているアーティストの一人である。1980年代から90年代にかけての若い日に、一世を風靡していたマイケル・ジャクソンや日本のアニメなどから創造への情熱を育まれたという。その後、世界を駆け巡りながら触れる同時代のさまざまなカルチャーに触発されながら、「世界中に私をインスパイアしてくれるカルチャーがある。それらをアートにすることが私の仕事なのです」として世界を舞台に創作活動に邁進している。
写真左から本江邦夫、作家ロナルド・ヴェンチューラ
マイケル・ジャクソンそして日本の劇画・アニメからの啓示
本江 2018年末に銀座のホワイトストーンギャラリーでヴェンチューラさんの作品を初めて拝見いたしました。その作品から、とてもファッショナブルでエレガントな印象を受けました。一見、写実的な表現とポップアートが組み合わさったイメージですが、さまざまなカルチャーが幾層にも重なっていて、とても深いものがあると感じました。
今日は世界的に活躍されるヴェンチューラさんに、そのルーツから現在までのことをお聞きしたいと思います。
ヴェンチューラ(以下、ヴェン) わざわざマニラまでお越しいただき、有難うございます。日本で有名な美術評論家の本江さんにお会いできてとても光栄です。
本江 こちらこそ。ようやくお会いできましたね。早速ですが、あなたをお待ちしている間に、イーガンさん(ヴェンチューラの幼少期を知るジャーナリスト)に伺ったのですが、幼少時から天才的な描写力だったそうですね。「アーティストになろう」と意識したのはいつ頃ですか?
ヴェン 子どものころから絵を描くのが好きで、アルファベットを完全に覚えるよりも前に、ドローイングのやり方を覚えていました。私が五歳か六歳のころ「超電磁マシーン・ボルテスV」という日本のアニメが爆発的に流行っていて、そのキャラクターをよく描いていました。高校生のころ久しぶりに帰宅したら、まだそれが実家のドアに貼ってあって(笑)。ですから、そのころかも知れませんね。
本江 イーガンさんによると、マイケル・ジャクソンの肖像を描いたドローイングが学校に貼られていたとか。
ヴェン 1980年代から90年代にかけて、私が最も影響を受けたアーティストがマイケル・ジャクソンでした。当時、流行しはじめたミュージック・ビデオがフィリピンでも放映されるようになって、マイケルをはじめとするさまざまな欧米の音楽が若い世代を魅了しました。特にマイケルは、音楽だけでなくダンスも素晴らしかったので、個人的にとても影響を受けました。いわばヒーロー的な存在でしたね。
本江 踊っているマイケル・ジャクソンを美しいと感じたから絵にしたのでしょうね。
ヴェン そうですね。楽曲、ダンス、映像、アートワーク、どれも素晴らしくて、当時の私にとってはパーフェクトな存在でした。私の中に創造に対する情熱を生んだのも彼からのパワーかも知れません。
本江 歌というよりも、映像やアートワークからの影響が大きい?
ヴェン そう思います。当時、ロックとかヘヴィメタルのブームがあって、それとともにさまざまなイメージがフィリピンにもたらされました。最近ではヒップホップでしょうか。私は常にそうしたもののイメージから影響を受けてきました。
一方で、「ドラゴンボール」や「機動戦士ガンダム」「マジンガーZ」といったアニメが次々と日本から輸入されてきた。とても刺激的な時代でしたね
本江 美術史上の重要な画家やアメリカの戦後美術など、いわゆるファインアートから影響を受けたことはなかったのでしょうか?
《Comic Lives 3》2018, 121.9×182.9, 油彩
無国籍であることと表現における自由の大切さ
ヴェン フィリピンにファン・ルナ1という画家がいるのですが、子どものころから美術館で作品を観ていますので、多少影響はあると思います。西洋や東洋などの美術史を本格的に学んだのは、美術大学に進学してからですね。
本江 作品を制作するうえで、最も大事にしていることは何でしょうか。
ヴェン フィリピンだけでなく、さまざまな国の歴史を知ることが、作品を制作するうえで重要なことだと考えています。共通する部分や異なる部分を感じることが、作品のベースになることも多いのです。言ってみれば歴史、過去と現代を結ぶことがアーティストの役割ではないかと。常にそう考えています。
本江 私が初めてフィリピンのコンテンポラリーアートを意識したのは、今から20五年ぐらい前のことです。日本の国際交流基金がアジアの現代アートのグループ展を日本で企画したのですが、、そこにフィリピンの作家が何人か参加していました。その中に鉄条網の前に人物を配したとても政治色の強い作品があったのを覚えているのですが、日本のジャーナリストにはあまり受けが良くありませんでした。「無理にコンテンポラリーアートを作り上げている」かのような記事が書かれたりして。
私個人は「日本の現代美術の方が進んでいる」というように書かれたその論調にまったく同意できず、反論したのですが、実際のところはフィリピンの作家に聞く以外ないとも思うのです。
ヴェン フィリピンにおいて現代美術を創作することのリアリティがあるのかどうか、ということでしょうか?
本江 そうですね。
ヴェン 個人的にはアートには国籍はないと考えています。私はマニラに生まれましたが、マニラを背負っているわけではありません。世界中を旅して、同時代のさまざまなカルチャーに触れながら、アートを制作しているのです。
もしかしたら、世界中を転々としたゴーギャンに近い感覚かもしれませんね。考えたり、創作したりすることは、何事からも自由でなくてはならない。フィリピンの作家としてのリアリティよりも、無国籍であることや表現における自由のほうが大事だと考えているのです。
本江 ヴェンチューラさんにとって、フィリピン的なものやフィリピン特有の文化や伝統はあまり重要ではない、ということでしょうか?
ヴェン そうかもしれませんね。ただ、本江さんがイメージされる「フィリピン的なもの」と、私の中にある「フィリピン的なもの」の間にはギャップがあるように思います。ご存知の通り、フィリピンには、スペイン、アメリカ、そして日本によって占領されていた歴史があります。国民のほとんどはカトリックの信者で、日曜日に教会に通う人も多い。貧富の差が激しいところに、さまざまな国からもたらされたさまざまなカルチャーを受け入れてしまうような国民性がある。良い意味でも、悪い意味でも、オールウェイズ・ウェルカム!(笑)
《Comic Lives 11》2018, 40.6×30.5cm, 油彩
根底にあるキリスト教とフィリピンの「受難」の歴史
本江 確かにそうかもしれませんね。マニラの空港からここに来るわずかな時間でもさまざまな文化が混沌とする様子を感じることができました。古い街並みと近代的な街並み。アジア特有の景色があるかと思えば、なぜか公園でバスケットボールをしている人がたくさんいる。英語を話す人がいて、タガログ語を話す人がいる。それに日本と違って若い人がたくさんいますね(笑)。これから発展していく国のエネルギーなのでしょうね。
ところで、なぜキリスト教がこの国に根付いたのだと思われますか?
ヴェン 貧しい国だからでしょうね。だから救いの象徴として神が必要だったのだと思います。
本江 フィリピンは国民の90パーセント近くがカトリックの信者ということですが、スペインやアメリカ、日本に占領されてきた歴史があって、とても複雑に感じる部分もあります。中にはいつまでも占領されていた時代の被害者意識を捨てきれない国もありますよね。でも、フィリピンの人からはとても親切な印象を受けました。まだこの国に来て数時間ですが。
ヴェン サービス精神が旺盛で、ホスピタリティがある。それは「フィリピン的」なことかも知れませんね。それから色々な国のカルチャーを受け入れたり、ミックスすることも…。
本江 私がヴェンチューラさんの作品から受けた印象もまったく同様のものでした。スーパーリアリズムの上に日本のアニメやコスプレ、アメリカのポップアートなどの要素が組み合わさったり、重なっていたりする。それはフィリピンという国の成り立ちや国民性と無関係ではないように思います。
イーガンさんにお聞きしましたが、フィリピンのホーリーウィーク2のイメージもベースにあるそうですね。それに、どこかメタフォリカルな部分も感じられて、フィリピンの現代アートに関して、もっと深く追究していかなくてはならないと感じました。
ヴェン 現代の社会は、さまざまな情報やイメージにあふれています。例えば、携帯電話で話をしながら歩いていても、次々と新しいイメージが目に飛びこんでくる。おそらく、私は本江さんとは違う目で渋谷や原宿を見ているのだと思います。同じように世界中どこを旅していても、私を強くインスパイアしてくるカルチャーがある。それらを自分の中にどんどん取り込んでアートにするのが自分の仕事だと思います。
本江 ある意味、ヴェンチューラ作品そのものがフィリピンなのかもしれませんね。最後になりますが、五月にヴェネツィアでグループショウがあるそうですね。
ヴェン ヴェネツィア・ビエンナーレの会期中に、サン・マルコ広場の旧行政館で開催される『Diversity for Peace!』(平和への多様性)に参加することになっています。本江さんには私のアートについていつか文章を書いていただきたいと思っていますので、ヴェネツィアか東京でまたお会いしたいですね。
今日はありがとうございました。
本江 こちらこそ。あわただしい取材でしたが、わざわざ飛行機で来た甲斐がありました。今回は日本の美術ファンにヴェンチューラさんの作品を知ってもらう機会ができてよかったと思います。
またどこかの国で会いましょう。有難うございました。
書籍情報
書籍名:今、評価され続けているアジアのアート
発行:軽井沢ニューアートミュージアム
発売 : 実業之日本社
発売日 : 2019年8月6日
※本記事に掲載されている情報は発行当時のものです。現在の状況とは異なる場合があります。
1ファン・ルナ ファン・ルナ・イ・ノビシオ(1857~99)。フィリピンの画家で、独立革命期の政治運動家。スペイン人画家に学び、スペインにも留学した。政治運動家としては、米西戦争のパリ条約に調印した。
2ホーリーウィーク(聖週間) キリストの受難と磔刑を想い、復活祭への準備として罪を反省する一週間。