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私がみた草間彌生さん
評価され続けているアジアのアート
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評価され続けているアジアのアート
国際的に評価されているアーティストやアジアのアートマーケットに関しての書籍『今、評価され続けているアジアのアート』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第6回目は、草間彌生をご紹介する。
私がみた草間彌生さん
矢柳聖一
アートディーラー 元サザビースジャパン
アートディーラーとしての第一歩は「草間彌生」展に始まる
アートディーラーになることを夢見ていた私は、新卒後の1986年4月1日、念願のフジテレビギャラリーに入社することができ、ディーラーとしての第一歩が始まった。その最初の企画展(6月開催)、草間彌生「Infinity∞Explosion」展に参加することになった。新作の大作を中心に、立体19点、平面3点からなる構成で、評価格は40万~1,300万円。ギャラリーでは3回目の個展である。その後、2006年の閉廊まで延べ六回程の大きな草間展を開催し、国内外数多くの企画、プロモーション、サポート活動をしてきたアーティスト直の取り扱いギャラリーであった。当時のギャラリーの所在地は親会社のフジテレビジョンと同じ敷地内にあり、東京女子医大近くの河田町(後にお台場、有楽町へ移る)にあり、偶然にも草間さんの生活拠点から徒歩圏内の距離にあった。体調の良い時には秘書の運転するワゴン車の助手席に乗って頻繁に来廊されていた。機嫌(体調)の良い時には来廊されているお客様、スタッフと独特な口調で談笑するのである。
様々な経験を重ねて
私は芸術家の家庭環境で生まれ育ったので、アート業界にすんなり溶け込めたものの、例えば、展覧会のDM、カタログ作成など、実務的なことを自らしたことがなかった。深夜ギャラリー内に展示されていた全ての作品を撤去し、カタログ製作のために、青海倉庫から全ての出品作品を運び込み、プロのカメラマンによる各出品作品、展示風景(インスタレーション)の撮影、専属デザイナー、評論家そしてアーティストと共に立ち合い、終了後にまたトラックに全作品を詰み込み一旦元の倉庫へと戻す作業である。重い立体作品、大作を運ぶのはかなりの肉体労働となる。今のようにデジタル化されていないので、紙焼きからカラーポジフィルムを起こすまでの時間と労力でお金が相当かかった時代である。草間関連でかかった総費用は、数億円と経理から知らされた。当時の扱いアーティストでは断トツだった。
展覧会のオープニングパーティが始まり、グループ会社のレストランが隣の社屋の地階にあったのでケータリングを用意。理想的な広いギャラリースペースではあるものの来廊者はいつもの顔ぶれが大半で、賑わいがあったがそこそこの入りだった。個人コレクター、アーティスト、評論家、キュレーター、同業者そして草間さんとその秘書である。オープニングの雰囲気は幼い頃より父の個展(パリのGalerie Solsticeなど)に家族で出席していたので心得ていたが、営業面での社交となると些か心許なかった。入社3か月目の私が来廊者の方々と何をどう話して良いのかわからない。販売をしなければならないと焦るばかり。ぼーっと立っている私を観て草間さんは、いつもの草間節で「やっちゃん、早く売らないと…」と小声でせかし始めるのだが体が動かない(フリーズ状態)。結局私のデビュー戦だった草間展では1点も売れずじまい。話の流れで興味のあるお客様にはバックヤードで版画を販売。評価格は2万〜4万円だったがなかなか売れず苦戦した。
会期中、先輩達も大作、しかも立体作品はどの作品も簡単には売れず、せいぜい公立美術館のリザーブ1点と個人コレクターへ数点売却といった結果を観て多少安堵したのを覚えている。当時はそういう状況だった。
その後、自分の手で最初の1点を売るまでにある程度の時間がかかったものの飛び込みなど営業努力をしながら個人コレクター、美術館などへの売り込みが徐々に成功し自信を深めて今日に至っている。
フジテレビギャラリーに20年半、サザビーズジャパンに11年半在籍した中で草間さんの幾多の素晴らしい作品に巡り合い、私を通じて重要な作品を販売、納めることができた。エピソードは多々あるのだが幾つかご紹介したい。
草間芸術の真髄を美術館に納入
フジテレビギャラリーでは、豊田市美術館所蔵の草間さんの代表作と言っても過言ではない大作、「No.AB」(一九五九年、油彩・キャンバス、210.3×414.4 ㎝の作品)を納めることができたことは、後世に残る重要な仕事の一つとなった。フジテレビギャラリーより1993年、第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館に出品され、翌年正式に約1,700万円で売却。今では考えられない超激安価格(仮に今マーケットに出たら10億円以上の値がつくと思う)のだが、市議会の承認を得る価格ではなかったものの館内、収集委員会などの承認を得ることは容易ではなかった。当時、美術館は開館に向けて準備室を市役所内(後に館内)に設置、当初は未経験女性キュレーター一人。その後数人のキュレーターが加わるのだが経験者はただ一人、岐阜県出身のA氏のみ。A氏は今まで私が出会った数多くのキュレーターの中で独特なオーラがあり、気骨ある良い意味での異質の存在である。時にはオファー作品に対し、共に何時間も激論する。作品に対する情熱と価値観は一致するので、最終的にオファー作品の大半が館所蔵となった。私の母方の祖父母が岐阜県出身で親戚も名古屋にいたせいか、不思議と東海エリアの企業、美術館、個人コレクター、同業者との相性はとても良く、今日も続いている。
クサマドリームをめぐって
次に、サザビーズ在籍時に出会ったB氏は著名な小説家。1960年頃、ニューヨークの旅行代理店勤務時代に草間さんが突然来店。休日に作品(荷物)を運んで欲しいと言われたものの休日でもあり、車の手配、スタッフ等皆スケジュール調整が難しく、仕方なく誰とも知らずB氏が善意でお手伝い。スタジオには無数の「インフィニティネット」が所狭しと置かれていた。その上、床一面に製作中の「インフィニティネット」が広げてあり、素人のB氏はその作品に草間さんから「描き加えていいわよ」と言われ、困り果てたとか。さすがに加筆することは出来ず、しばらくの間ポカーンと眺めていたそうだ。お礼として草間さんから「あなたの好きな作品を差し上げるわ」と言われ、とっさにインフィニティネット(白色)、「No.E」(1959年、72×90㎝)を選び、帰国後もリビングに掛け家族で楽しんだという。約55年もの間大切に所有してきた作品だったが、高齢になり後世のことを色々考えていたB氏に私はアドバイスを求められ、最終的に2014年5月14日開催、サザビーズニューヨークのコンテンポラリーアート・イヴニングオークションにて査定価格下限約4倍の3億5,000万円程で売却。当時のオークションレコードであった。当日オークション会場にいた私は直ぐに携帯からB氏へ落札結果と経過を報告。とても喜ばれておられた。帰国後、B氏の地元で人気の美味しいフレンチレストランにてワインで祝杯を上げ、楽しい夜のひとときを過ごした。まさにアメリカンドリームならぬクサマドリームである。人間の出会いと心の大切さを改めて実感した一例である。
草間作品の価格について
フジテレビギャラリーからサザビーズそして今日までの33年間、草間さんの数多くの作品と向き合ってきたが、こんな短期間に、しかも全ての作品価格が大幅に急騰するアーティストの例は世界広しと言えど、私が知る限りでは草間さんとザオ・ウーキー(同じくフジテレビギャラリー取り扱いアーティストだった)の二人だけではないだろうか。
フジテレビギャラリー在籍時、当初は版画が2万~4万円、石膏の南瓜のオブジェが5万円前後、色紙が3千円、SMサイズが10万円、コラージュが15万円、ボックスが20万~40万円、30号が50万円といった価格でポツポツと売れていた程度だった。100号以上やオブジェ(大)は、主に国公立の美術館と一部の個人コレクターが買われていった。同業者からはSMサイズの注文依頼があり3点、5点と受けていた。社内には草間さんから委託で預かっていた作品がそこら中に置かれていたが、ポケットマネーで購入するスタッフはほとんどおらず、女性スタッフ数人が綺麗で可愛らしい黄色南瓜のSMサイズ、小さなオブジェ、版画を購入していたのみ。中には草間さんが来廊した際、顔色を観ながら機嫌の良さそうな時を見計らってボックス作品を格安で注文したちゃっかりものの女性スタッフもいた。作品が出来上がり、その作品タイトルがその女性スタッフの名前を入れ「○○ちゃんの箱」とついていたのには皆びっくりした。今日の国内外のセカンダリーマーケットでは版画は100万〜1,000万円程、小さな南瓜のオブジェが500万円前後、色紙が300万~900万円、SMサイズが3,000万円前後、コラージュが500万~1,000万円と高騰している。また、ヴェネツィア・ビエンナーレのヴェルニサージュの時に、日本館前で草間さん自身から直接来館者に贈られた直径3.5㎝の小さな黄色南瓜(約500個製作)が、100万円程で海外オークションにて落札されている。
世界に通用するマーケットを作るために
バブル時代を経験した私は必ずバブルは弾けることを予想しているが、一旦弾けるものの資産価値、投機目的などとして既に確立されているので、ウォーホルのようにまた戻ると観ている。この間マーケットだけを考えた場合、当時いかなるアーティストの作品を購入したよりも単価の安かった草間さんの作品を大量に購入していれば、利益率が膨大な為に大富豪と化したであろう。しかしながら、当時こういう結果になることを想像できた人は誰もいなかった。唯一草間さんだけが、ここまで来ることを信じて一生懸命日々仕事をされてこられたのだ。いやアーティストは皆常にそう思いながら情熱をもって仕事をしているのだ。
アート業界ではアーティストが存命中、このような状況(サクセス・ストーリー)を観ることができたことは、とても稀なことである。けれども、今日のアートマーケットは昔と違いスピードの時代。インターネットの普及など、世界との距離も大幅に短縮、地球上のどこからでも24時間いつでも情報等アクセス、参加できる。海外オークション会社はオークションだけに留まらず、仕事のエリアを広げギャラリースペースを持ち、相対取引も各地(2012年、サザビーズ香港S2ではこけら落しとして草間展を担当、開催し大成功をおさめた)で頻繁に精力的に行っている。ここ数年今までスポットライトが当たらなかった日本人アーティスト(マーケット的に出遅れ感のある)が、世界中から注目されている。世界に通用するマーケットを作るには全参加型、つまりアーティストは勿論のこと、ディーラー、オークション会社、コレクター、評論家、美術館、企業と様々なジャンルの人達を巻き込みながらのジャパンチームで世界に挑めば、第二、第三の草間さんを生み出すチャンスが近い将来あるのではないかと思っている。
矢柳聖一(ややなぎ せいいち)
1961年 東京都生まれ。父はアーティスト。幼少期をパリで過ごす。大学卒業後、1986年、株式会社フジテレビギャラリーに入社。ディレクターを経て、2006年、株式会社サザビーズジャパンにマネージャーとして入社。デピュティー・ディレクターを経て2017年、三月退職。現在は、アートディーラーとして活躍。
書籍情報
書籍名:今、評価され続けているアジアのアート
発行:軽井沢ニューアートミュージアム
発売 : 実業之日本社
発売日 : 2019年8月6日
※本記事に掲載されている情報は発行当時のものです。現在の状況とは異なる場合があります。