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河口洋一郎:豊かな色彩・独自のかたち渦巻く─アートサイエンスの世界

評価され続けているアジアのアート
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『河口洋一郎: 知性・深海・宇宙』ホワイトストーンギャラリー銀座新館, 2018

国際的に評価されているアーティストやアジアのアートマーケットに関しての書籍『今、評価され続けているアジアのアート』をデジタルアーカイブとしてお届けするシリーズ企画。第9回目は、河口洋一郎をご紹介する。

豊かな色彩・独自のかたち渦巻く─アートサイエンスの世界

中野信子
脳科学者

河口の作品の特徴として最も認知されているのはおそらく、多用される原色の組み合わせが与える強い印象と、深海生物を思わせるような独特のフォルムである。これは彼自身が「種子島」という特異な進化的歴史を持つ南方の島の出身であることが意識的、無意識的に活かされた所産である。時には見知った自然界には存在し得ないような色彩の組み合わせは、見る者に対して新鮮な印象を与えると共に、色覚以上の感覚を誘起することがある。

我々人間にとって色彩は、光にあるのではなく、脳の中にある。光の波長を識別する能力に応じて、脳がその物体に色を塗っているようなものだ。色覚を持たない動物もいる。よく知られていることだが犬は我々のような色覚を持っていないため、我々とは違う色の世界を見ていることになる。

もちろん海の生物にも色覚がある。魚類から霊長類まで、共通祖先の段階で色覚を有しており、それが進化に大きな役割を果たしていると考えられている。魚類、爬虫類、鳥類の色覚は人間のような3色型や、他の哺乳類にみられる2色型ではなく、4色型である。確かに魚類、爬虫類、鳥類を見渡してみれば、その体色が鮮やかな種も多い。

世界のCG界から絶賛される作家河口洋一郎

楽園・宇宙・未来型のアート「宇宙鳥」シリーズ

河口の作品の中の色彩感豊かなものの代表として、やはり鳥類をモチーフとした「宇宙鳥」のシリーズが挙げられる。存在し得ない創造物のようでありながら彼は数億年の未来にはこうした生物があり得るだろうという予測と想像力とを働かせ、根底では自然の法則に則ったものを創り上げていくという方法をとる。これが河口作品の特徴の大きな要素であろう。

ところで、生物にとって際立った色彩というのは色覚を利用した性選択と、捕食を主とした生存戦略に大いに役立つものである。注意を惹き、我々を落ち着かない感じにさせる強い色彩のコンビネーションは、豊かな環境にあってともすれば眠ってしまいがちな我々ヒトの感覚に対して、根源的に揺さぶりをかけてくる。性選択と捕食に明け暮れざるを得なかった過去数億年の歴史を逆説的に我々に思い出させ、力を湧き出させるような効果を認めることができる。

河口の作品の大きな特徴である形状についてはよりその視覚的側面が別のモダリティを変容させるという現象がクロースアップされやすい。その視覚の印象というのは、たとえば滑らかな表面であってもつやを消し、ざらついた表面であるかのような視覚効果を描けば、我々はその感覚にいとも簡単に騙されてしまうというような様相である。

実際に視覚刺激を与えられてしまえば、それが神経細胞レベルでフィードバックをかけ、触る前に触覚を変えてしまう。意識に上る以前に感覚を変容させるという現象をうまく使っている作品は、薩摩切子の技法を用いた海の生物の創造ではないだろうか。豊かな色彩に彩られた独特の形状は、ガラスというモダリティを超えて滑らかな質感をより強調し、あたかもぬめぬめと生命感のある表面を持つかのように観客に感じさせることに成功している。

アメリカコンピューター学会(シーグラフ)での会長賞受賞に臨んで。左:河口洋一郎

時に日本の伝統文化をヒントにときに時間軸を自在に移動して

さらに河口はしばしば日本の伝統的な文化をヒントにしたり、古くからある技術を彼の作品に用いたりしている。道具の使用と時間感覚の関係を考えれば未来の世界を想像して創作を続ける彼の着想はより興味深く感じられるだろう。河口は単にそれらの直感的な魅力に惹かれて、伝統文化の数々を新しい形で観衆と共有したいと望んだ、というだけではなく、その文化や技術が経てきた長い歴史と時間を観衆と共有することを目的としているように思われる。

優れた芸術作品は、人間の認知の特質に働き掛けて、物理的には決して永遠を生きることができない私たちに永遠を感じさせ、またほんの瞬きする間に過ぎ去っていってしまうごく短い刹那を体感させもする。また、時間軸を自在に移動する力を与えてくれることもある。芸術によって私たちは、はるか遠い未来へいくことも、もう手の届かない過去へ行くこともできる。

我々の脳には二種類の意思決定システムがある。雑だけれども速い決定を下す欲望に忠実なシステムと、遅いけれども丁寧でより正確な思慮深いシステムのせめぎ合いの結果が我々の行動に反映される。速いシステムがとかく有利になりがちで、欲望を剥き出しにする者が勝ち上がっていくかのように見える現代社会ではあるが、果たしてそれは長い期間のうちには本当に生存競争において有利な資質と言い切れるのかどうか。

長大な時間を前提として創造される芸術には、目先の利益だけを最大化しようとして性急に行動しがちな人間の本源的な欲求を適切な水準に抑制するという大きな役割がある、ということを、河口の作品は我々に教えているようでもある。

『河口洋一郎展』会場風景(軽井沢ニューアートミュージアム)

中野信子(なかの のぶこ)

東京都出身。東京大学医学系研究科博士課程修了。脳科学者、医学博士、認知科学者、評論家。東日本国際大学教授。近年はマスコミ界、テレビ報道番組などでコメンテーターとして活躍。著書に「不倫」「あなたの脳のしつけ方」「メタル脳」「幸せをつかむ脳の使い方」他多数。

書籍情報
書籍名:今、評価され続けているアジアのアート
発行:軽井沢ニューアートミュージアム
発売 : ‎ 実業之日本社
発売日 ‏ : ‎ 2019年8月6日

※本記事に掲載されている情報は発行当時のものです。現在の状況とは異なる場合があります。

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